2026-10-04
前橋の街がこれからどうなるのかは、どのようにできてきたかを知らないと見えてこないこともある。日々忙しく暮らしていると、足元が見えていない。これからも自分が自立して暮らしていくために、まず地元の地勢を確かめてみたくなった。
平野部にありながら、前橋中心部には、旧利根川の氾濫原に広がる低地と、その南西側の前橋台地との間に高低差がある。低地には繁華街が広がり、台地には城や武家屋敷が置かれた。城下町はこの両方にまたがって発達し、その周囲を農村が取り囲んでいた。ブラタモリに影響されたわけでもないが、今日は旧利根川が残した崖線をたどり、坂道を歩いてみることにした。

本町付近では、国道50号線の北側に崖線があり、馬場川がその崖下を流れている。そこから西、さらに北西へと目を向けると、千代田町から大手町、臨江閣付近にかけて、街路を斜めに横切るように高低差が続く。今回は、臨江閣付近から中川小学校付近までの坂道をたどった。
利根川の流路変更には諸説あるが、中世のたび重なる洪水を経て、1539年(天文8年)・1543年(天文12年)の洪水によって現在の市街地西側へ本流が移ったと伝えられる。西へ移った利根川は、近代に入っても交通上の障害となった。1884年(明治17年)に開業した初代前橋駅は、利根川への架橋が難しかったため、右岸の現在の石倉町に置かれた。当時の渡河の難しさが伝わる。
昼食をはさんで、臨江閣北側の箪笥屋横丁へ通じる細い坂道から、中川小学校前の坂まで、坂を上り下りしながら約7kmの街路を踏査した。曇り空ながら穏やかな昼間、自動車では気が付かないわずかな起伏も、歩けばわかる。

平坦と思っていた街にも、意外と起伏がある。以前、山都園のご主人から、銀座通り入口付近は広瀬川の久留万橋の路面より低いと聞かされたことがあった。今回歩いてみると、確かに広瀬川と馬場川の間にも、谷状の低まりが感じられた。橋との正確な高低差は測っていないが、ご主人の話を思い出しながら、街の起伏を足で確かめることができた。
旧利根川の流れは、現在の広瀬川をそのまま太くしたような単純なものではなかったのだろう。高まりと低まりの間を、時代や水量によって流れを変えていた川。その痕跡が、今も街の中に残っているのかもしれない。

白井屋ホテルの増築部分は、コンクリートの建物に土をかぶせ、緑の斜面をつくっている。今日、崖線をたどって歩いた目には、街の中に崖線を再生したようにも見えた。見慣れた建築も、足元の地形を意識すると違って見える。
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