2026-09-26
事務所の移転を機に、長くしまってあった一枚の古いポスターを壁に掛けた。雑誌『都市住宅』の付録として発行された、吉村順三の「軽井沢の山荘」のポスターである。
その存在を知ったのは昭和46年頃だったと思う。『都市住宅』の記事を見て、どうしても欲しくなり、当時赤坂にあった鹿島出版会を訪ねた。事情もよく分からぬ若造が突然訪ねて行ったわけだが、ありがたいことに一部を分けていただいた。以来、半世紀以上、手元に置いてきた。
当時、私は吉村順三という建築家に強く惹かれていた。住宅をはじめとする彼の建築には、何とも言えない優しさがある。寸法、素材、光、建具、家具までが無理なくつながり、人を包み込むような空間をつくっている。
しかし、その優しい空間から想像する人物像とは別に、設計に対しては極めて厳しい人であったようだ。皇居新宮殿の設計をめぐって宮内庁側との考え方の違いから設計を離れたという話も、若い頃から印象に残っていた。穏やかな建築をつくることと、設計者自身が穏やかに妥協することとは、まったく別なのである。
先日、青山タワービルを訪れる機会があった。本当に久しぶりに吉村順三の実作に触れた。青山通りに面したエントランスにはスチールサッシが使われている。今とは材料も工法も違う時代の建築ではあるが、実際に近づいてみると、線の細さ、部材の寸法、手の届くところの納まりから、設計者の意図が伝わってくるように感じた。
写真や図面だけでは分からない。建築はやはり、その場所に立ち、歩き、手の届く距離で見るものなのだと思う。
振り返れば、設計という仕事は、人から人へ受け渡されていくものでもあった。吉村順三の建築を見ていると、穏やかな空間は決して穏やかな判断だけから生まれるものではないことに気づく。
寸法、素材、納まり、光、動線。その一つ一つについて厳しい判断を積み重ね、その結果として、何事もなかったような自然な空間が現れる。
そして、こうした設計者個人の感覚に深く依存する建築ほど、本人が現場を離れた後、それをどう受け継ぐかという問題が残る。大きな設計組織であれば、設計技術、人材、信用、蓄積された知識そのものを社会に対して継続していく責任がある。小さな設計事務所でも本質は変わらない。設計判断の基準、施主との向き合い方、施工者との関係、図面に何を残すか。そうした「仕事の作法」を次の世代に渡していかなければならない。
私自身も、小さな組織ではあるが、その責任をすでに後進に委ねた。事務所を引き継ぐということは、単に名前や仕事を渡すことではない。何を大切にして設計してきたのか、その判断の根拠まで含めて次へ渡していくことなのだと思う。
そう考えると、半世紀以上前に手に入れた吉村順三のポスターも、単なる懐旧の品ではなくなる。若い頃に憧れた建築家の図面を、長い設計人生の終わりが見えてきた今、もう一度日常の視線の中に置く。
本来なら額装して保存すべきものなのかもしれない。しかし、仕事場の壁に掛け、ときどき目を上げて眺めるのも悪くない。若い頃には見えなかったものが、今になって見えてくることがある。
建築も、人との出会いも、時間を経て初めて分かることがある。
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