2026-06-04

田舎道を走っているとき、なぜかブラームスのハンガリー舞曲が車速(40km/h〜)に合う。特に1番が良い。丘陵地帯は一定速というわけにはいかないが、カーブをいなしているときなど、曲の緩急に呼応した瞬間がある。

単調な高速道路、それも昼食後などはスーザで元気づける。ドイツ系のマーチはこのシーンではややもっさりしていて同期しない。陸軍分列行進曲も合わない。 朝はフィンランディアでスタートするのも悪くない。この曲を知ったのは高校時代。吹奏楽部が定演のための朝練で演奏していたので覚えた。ただ、フィンランディアの複雑なリズムは、4気筒エンジンとは合わないようだ。

車中はまったくの個室。自分だけの空間のときは何を聴いてもよいのだが、音楽データはほぼSDカードにコピーを取ってあるので、その時の気分で選ぶことができる。 最近は、平尾昌晃の京都ベラミでのライブ盤をリッピングして、WAVで保存したのも聴く。スタジオのような音質は期待できないものの、音場の自然さは聴いていて楽しい。

SDカードの中はいわゆる懐メロ路線のソースが多い。残念ながら、若い人の歌は心に響かないのだ。商品としての音楽は消費されるだけだ。 1970年代、作詞、作曲、演奏を自ら手がけるスタンスの歌手たちがいた。もちろん様々な先輩歌手からの影響が背景にあるのだろうが、強いメッセージ性を持っていたということが、それ以前の歌謡曲とは違う新しさだった。 しかし時代はまた逆戻りして、大人数グループのユニゾンなど、個人的には聴くに堪えない。……いや、そもそも歌詞に含まれる風景に、もう自分が立てない歳なのだという寂しさもあるのかもしれない。

クラシック音楽は、同年代に無数にあったであろう楽曲の中で生き抜いてきた強者である。単に「昔の音楽」というわけではなく、何世代もの聴衆、演奏家、批評、録音技術、そして教育制度を通過してなお残ったものなのだ。 現代の曲は、百年後、どれだけ残っていくことだろう。