2026-06-02
前橋地区の今日一番の話題は、スズラン前橋店が今年11月30日をもって営業を終了するというニュースであろう。業績の低迷に加え、老朽化した現店舗への設備投資の見通しが立たないこと、そして何より中心市街地の再開発計画が何年も遅れていることが決定打になったという。このまま新店舗の計画が不透明になれば、前橋市内から「百貨店」の灯が完全に消えることになる。
私の記憶にあるスズランは、桑町の通りにあった平屋の間口の小さな洋品店といった印象で、後の地方百貨店の姿ではなかった。当時はまだ「麻屋百貨店」が健在であり、「赤かんばん」などのほうが先に大きな店を構えていた。また三越系の「前三百貨店」も誕生し、前橋の中心市街地が一番華やかな時代へと向かった。スズランが拡張した1970〜80年代は、「丸井」「長崎屋」「十字屋」「西友」「ニチイ」と大型店が続々開店した。ハレの日には買い物に行く愉しみがあり、そこには知人や友人も多く働いていた。今は中心市街地ではスズラン前橋店のみとなり、あの時代を知っている身としては、今回のニュースは極めて寂しいものである。
しかし同時に、スズラン前橋店の営業終了という現実を、私はそれほど驚くことなく受け入れている自分にも気づく。客足の遠のいた店内には、すでに往時の活気は残っていなかったからである。
中元や歳暮といった贈答習慣の後退も顕著である。比較的高価格帯の商品であれば、新幹線を利用して都内へ買い物に行くことも難しくない。服飾文化も大きく変化し、高価な衣類を求めるよりも、必要なものを必要なだけ持つミニマリズム的な価値観が浸透している。 shadow(影)のように、Amazonをはじめとする通信販売の著しい伸長が決定的だったことは言うまでもない。
それにしても、かつての実店舗での買い物は、財布に多少の余裕があれば実に楽しいものだった。年に数度の買い物である。まだインターネットで膨大な情報を得られる時代ではなく、商品知識の豊富な店員とのやり取りそのものが勉強になった。店員たちは自らが扱う商品に強い誇りを持っており、そのことが買い手に安心感を与えていたように思う。
ところが先日、母の買い物のために某ショッピングセンターを訪れた際には、店員の対応に落胆させられた。言葉遣い以前に、高齢者や足の不自由な客に向き合う姿勢そのものが感じられなかったのである。さらに最近ではセルフレジが浸透し始め、買い物は原則として自分だけで完結させるものになった。飲食店でもタブレット注文が増えているが、私は注文する楽しみそのものが失われたように感じてしまい、できるだけ避けている。
やはり実店舗で、商品知識の豊富な店員から説明を受け、納得したうえで商品を手渡される買い物が一番楽しい。
なんとも先の読めない閉塞感の漂う時代ではある。市が事業費の膨らみから予算計上を見送るなど、地方の再開発事業も一筋縄ではいかない。私たちはそうした都市計画の動向に一喜一憂し、過度な期待を抱くのではなく、生活者として自らのアンテナを高く掲げ、有効で納得のできる消費生活を目指したいと思う。
百貨店文化は終わりを迎えつつあるのかもしれない。しかし、合理化されたデジタルな消費に身を委ねるだけでなく、かつての百貨店のように「信頼でき、やり取りが楽しい店」を自らの手で発掘していくこと。それもまた、これからの時代を楽しく生きるための、新しい消費生活の愉しみの一つなのであろう。
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