模倣と二重構造の果てに
防衛大学校の卒業式で見られる「帽子投げ」は、米ウエストポイント(陸軍士官学校)の伝統を模倣したものである。一見、若者の輝かしい門出を象徴するこのパフォーマンスも、「進駐軍」という言葉が日常にあった時代を知る者からすれば、戦後日本が抱え続けてきた「借り物の精神構造」を映し出す、眉をひそめたくなる光景に他ならない。
岸信介はかつて、満州国経営という自らの実績を敗戦によって奪われた「怨念」にも似た情熱を抱き、安保改定をステップとした「真の独立」を熱望したはずであった。しかし、その孫である安倍晋三の時代を経て、現代の保守が守ろうとしているのは、皮肉にも「アメリカの核の傘」という前提に安住し、その枠組みの中でのみ振る舞う「二重構造」の維持である。
今の政治家たちは、自立した国家としての在り方を深く問うことをせず、不自由な隷属を「同盟の深化」という言葉で塗り固めている。それは、アメリカという巨大な光源に露出を引きずられ、肝心の自国の主体性が黒く潰れてしまった「逆光の中に沈む人影」の構図そのものである。
個人の無力感から「思考停止のふり」を続けざるを得ないこの閉塞した時代において、唯一抗う術があるとすれば、それはシステムに委ねることを拒み、己の眼差しを取り戻すことではないか。
「不自由(制約)を受け入れ、嘘のない光を、自分の感覚で調律する」
この写真憲章が示す哲学は、国家の在り方にも通じる。たとえ逆光の中にあっても、借り物の光ではなく、自らの足元に差すありのままの光を直視し、その階調(グラデーション)を自らの手で整えていく。シャッターを切る一瞬に、無力な個人としての心情を込めること。その静かな積み重ねの先にしか、虚飾ではない日本の「真実」は見えてこない。
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