2026-10-28
写真を整理していて、高校時代の写真を見ながら、ふと旧東電サービスセンターを思い出した。建物は前橋中心商店街の銀座通りの一角に現存しているが、閉まったままである。ここは東京電力の施設で、一階には電化製品の展示や料金の支払い窓口があり、二階は貸しギャラリーになっていた。アマチュア画家の発表の場となっていたのである。
高校時代からしばらく、ここに出入りしていた。高校の美術部、地元の画家、その画家が主催する絵画教室、同好の仲間のサークルなど、さまざまな集まりが利用させていただいた。利用は無料だったと記憶している。市内の美術愛好家は自然と交流し、その裾野は広かったと思う。『タッチ』のあだち充も、前商時代に覗いたかもしれない。
後年、県民会館や市民文化会館など、規模の大きな施設へと発表の場の中心は移っていった。それでも、街中にあったこのギャラリーが果たした役割は大きかったと思う。
前橋市は美術館「アーツ前橋」を開設したが、市民が出展する「市民展」の会場は市民文化会館のままである。アーツ前橋にも市民が参加する企画はあるが、愛好家が自分たちで展覧会を開ける貸しギャラリーとは異なる。芸術的な価値を求める一方で、身近な美術との距離が広がっているように感じるのが、不思議でならない。商品としての美術品との比較といっては言い過ぎだが、本来、美術は日々の暮らしの中に、その優劣に関係なくあったのではないだろうか。
有名作家の作品を集め、入場料を取るような企画に前橋市も関与しているのを見るにつけ、身近に美術があった時代を懐かしむのだ。
あの頃、前衛芸術は反体制の象徴でもあった。日展系の小見先生と、反戦派だった美術部顧問の井田先生。その間で揺れながら、どちらかといえば体制側にいた自分には、前衛の人たちがまぶしく見えた。そこには、描かずにはいられない、生きることをかけたような熱気があった。
今の美術に感じる物足りなさは、思想の違いよりも、その切実さの薄さなのかもしれない。生業として描くこととも違う,怒り、祈り、喜び、悲しみという内側から突き動かされるような力である。もちろん、これは私の主観にすぎない。すっかり丸くなった老左翼の繰り言だろうか。
コメントを残す