2026-10-25

ここ十年ほどは奥志賀まで足を延ばすことが多い。雄大な高原を彩る紅葉が楽しみなのだ。今年は紅葉の見頃には恵まれたものの、霧に遮られて全貌を見ることはできなかった。その分、濡れ色の見事な紅葉には出会うことができた。
初めて訪れた秋も、今年の秋も霧の中。長く通ってきた志賀高原に、また一つ記憶が重なった。

志賀高原は、昭和初期から観光開発が進められてきた歴史ある高原リゾートである。1927(昭和2)年に長野電鉄が湯田中まで開通すると、初代社長の神津藤平らによって、山へ向かう交通路やスキー場、宿泊施設の整備が進められた。「志賀高原」という名もこの時期の観光開発とともに広まったもので、志賀山に由来するとも、神津の故郷である佐久の志賀村にちなむともいわれる。

2018年10月

長野電鉄は、人を運ぶとともに、この観光地を育ててきた存在でもある。美しい風景だけでなく、この地に可能性を見いだし、観光地として育ててきた人々の歩みにも心を引かれる。それもまた、私が志賀高原に魅せられる理由の一つである。

山麓の地獄谷温泉ではお猿さんまで湯につかる。火山活動によって生まれた小さな湖沼も、周囲の森とともに四季を通じて美しい。

2019年4月

志賀高原に初めて足を踏み入れたのは1970年の秋だった。当時の勤務先の社員旅行で上山田温泉に宿泊し、帰路は志賀高原経由となった。社用車に分乗して志賀高原に差し掛かったころには、辺りは濃霧に包まれていた。視界がほとんど利かず、寒いなか、渋峠付近のドライブインでカレーを食べたことが妙に記憶に残っている。

2010年6月

それ以来、スキーや夏季休暇で幾度も訪れた。アップルの佐藤さんと、林檎亭のためのデザインリサーチで旧志賀高原ホテルに出かけたこともある。
旧志賀高原ホテルは、戦前の外国人観光客誘致政策のもとに建てられ、京都ホテルが経営を担ったホテルだった。現在はエントランス棟が志賀高原歴史記念館として残されている。
このホテルに泊まり、渋峠までスキーに出かけたこともあるが、あまりの寒さにワックスが合わず、板が滑らなくて苦労した。当時は関西方面からのお客さんも多かったと記憶している。
2016年6月

志賀高原へはほとんど乗用車で訪れているが、一度だけ自転車で越えたことがある。万座鹿沢口まで輪行し、渋峠を越えて志賀高原に入り、小布施から再び輪行で帰った。日本国道最高地点の碑の前で撮った写真を見返すと、あの道を自分の脚で上ったことが、今でも少し誇らしい。
2010年6月

仕事でも遊びでも縁のある、思い出深い土地である。