退職を前に
すでに事務所の経営は後進にゆだね、10年たった。若い人たちと過ごす職場は快適なのでつい長居してしまったが、仕事以外にもやり残したこともあり元気なうちにと完全に引き上げることにした。
先日、写真を整理していて、開業当時のことを改めて思い出した。
住宅、飲食店舗、医療施設と、性格の違う分野を並行して設計させていただいた。それぞれの仕事で得た経験が、よい意味でほかの分野にも生きていると思う。
住宅や医療施設には、生真面目さだけではない表情や楽しさを。一方、飲食店舗でも、表面的なデザインにとどまらず、建築としての品質を大切にする。設計・監理に専念する姿勢のうえに、こうした経験が重なり、事務所の特徴となってきたのではないか。
最近の住宅にも同じような素材の組み合わせを見かけると、「風の家」を思い出す。当時の自分としては、それまで常識として受け止めていた住宅のつくり方から、一歩踏み出したつもりだった。今では現所長が、さらにその先へ進んでいるように感じる。
堀越内科医院で採用した木製の外部建具も、私はその後しばらく使っていなかったが、最近では現所長が取り入れているようだ。過去の試みが、形を変えて次の設計に生きている。
長く続いたお付き合いのなかには、次の世代の住宅設計へとつながったものもある。近年は、現所長がその仕事を担当させていただいている。
30年以上前につくったCAD設計マニュアルも、現在までほぼそのまま引き継がれている。一方で、AIの登場によって、設計の手法はさらに変化していくだろう。ただし、設計者がAIに使われてしまっては本末転倒である。何を求め、何を選び取るのか。設計者自身の独自性は、これまで以上に問われていくのだと思う。
手がけた建物のなかには、すでに姿を消したものもある。「たぬき亭」も惜しくも廃業してしまったが、今は紅葉を見に塩田平の山へ出かける。仕事で通った土地との縁は、今も続いている。
飲食店舗の仕事を紹介してくださった方も、初日総本店の社長も、一昨年、相次いで他界された。写真を見ていると、当時のやり取りが思い出される。寂しい限りである。
一方、設計を通じてご縁のできた先生方には、今では私自身が、かかりつけ医としてお世話になっている。堀越内科医院にも、退職を前に近々ご挨拶に伺う予定である。
退職を決めた今、小見先生が絵を描けなくなったとおっしゃっていた姿を思い出す。まだ仕事を続けられるのに辞めようとしている自分を、ふがいなく感じることもある。それでも、仕事を託す時期が来たのだと思う。
先日、新たな設計の依頼をいただいた。事情をお伝えし、現所長を紹介することにした。その際、仕事の進め方は、私の延長線上にあることもお話しした。
絵を描きたいと思って選んだ道が、人とのつながりによって、ここまで続いてきた。教わったこと、試みてきたことが、次の仕事へと引き継がれていく。
建物への思いも、人との記憶も、自分のなかには残る。その先の仕事を託し、これからは写真を撮る楽しみも大切にしていきたいと思っている。
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