2026-10-22

便利さの向こうにあるもの

利用しているレンタルサーバー会社から、PHPの脆弱性への対応が完了したとの連絡が届いた。自分のブログも正常に動いている。ひとまず安心したが、インターネットという便利な仕組みを理解するのは、なかなか難しい。

かつてのNIFTYのパソコン通信は、電話回線を使って運営会社のホストコンピューターにつないでいた。その先では多くの人が交流していたが、少なくとも、自分がどこへ接続しているかは意識できた。無数のネットワークが相互につながる現在のインターネットとは、利用する側の感覚も違っていた。

インターネットの前身には、米国防総省の支援で研究機関のコンピューターを結んだARPANETがある。その後の発展では、一部の経路や設備が失われても通信を続けられることが重視されてきた。ただし、通信経路の冗長性と、保存されたデータが失われないことは別の話である。

今年3月以降、中東の紛争に伴う攻撃でAWSのデータセンターが被害を受け、9月には、一部の拠点だけに保存されていたデータへのアクセスを復旧できないことが明らかになった。

クラウドという言葉からは、実体のない雲のようなものを想像してしまう。しかし、その向こうには建物があり、サーバーがあり、電源や冷却設備、通信ケーブルがある。仮想空間も、あくまで物理的な設備に支えられている。

 

そんなことを考えていた今日、久しぶりに入った蕎麦屋が、スマホで注文し、精算する方式になっていた。

この店で食事をする自分にとって、その便利さはあまり感じられなかった。現金を持ち歩かずに済むのは利点だが、それはスマホで注文することとは別の話でもある。

店側には多くの利点があるだろう。注文や会計にかかる手間を減らせる。現金管理の負担が軽くなり、現金に触れる機会も減る。不正や注文の伝達ミスを減らす助けにもなる。人手不足の折、少ない人数で店を運営できることには大きな意味がある。一方で、システムの利用料や決済手数料という負担も生じる。

では、飲食店は何を売っているのだろう。

私は、料理そのものだけでなく、迎えられ、注文し、料理を待ち、食べ、店を出るまでの時間と空間に対価を払っていると思っている。店の人が、今日は何を食べてほしいのか、どんな料理なのかを丁寧に説明してくれる。その短いやり取りも、食事の楽しみの一つである。

画面に向かって注文を済ませることで、その機会までなくなるなら、私にとってはサービスの低下である。

もちろん、スマホ注文やキャッシュレス決済を全否定するつもりはない。忙しいときには手早く食べられる店に入り、コンビニで済ませることもある。セルフレジも結構だ。自分のペースで注文したい人や、店員との会話を負担に感じる人には、画面で完結する仕組みがありがたい場合もあるだろう。

求めたいのは、店が、どのような食事の場を提供して経営していくのかを、きちんと理解していることである。速さや手軽さを売るのか、料理の説明や人とのやり取りまで含めた時間を売るのか。注文や会計の方式も、その店のあり方に沿って選んでほしい。時流に乗ることだけで決めるものではないと思う。

以前、同じくらいの価格帯の蕎麦屋で、「できれば現金で」と言われたことがある。「手数料のことですか」と尋ねたが、返事は曖昧だった。そう説明してもらえれば、こちらも気持ちよく現金で払えるのに、と思った。

決済手数料は価格に織り込み済みなのだから、ポイントをためたほうが得だという考え方もある。ただ、実際の価格の決め方は店によって違うだろうし、私自身は、美味しい料理へのお礼を、少しでもその店に届けたいと思っている。

なるべく「毎度」と挨拶してくれる店を選ぶ。そうした馴染みの店には、現金だけの個人店が多い。店には店の都合があり、こちらにもこちらの都合がある。

一方、カードも使えるのに、おつりにはピン札を用意している店もある。同じ金額の紙幣でも、そこには違う意味が込められているように感じる。

もちろん、私もAmazonには大変お世話になっている。便利なものを遠ざけたいわけではない。ただ、自分のお金をどこで、どのように使うかは、自分で選びたい。

そのほうが楽しい。ということだけである。

PHPからずいぶん脱線した。しかし、仕組みの見えにくい便利さに囲まれているからこそ、顔を見て注文し、料理を味わい、「ごちそうさま」と代金を渡す。そんなシンプルなあり方も大切にしたい。