私が物心ついた頃、身近にあったカメラは「ミノルタ・セミP」という蛇腹式のスプリングカメラだった。距離計も露出計も備えていない普及型のカメラである。
いま残るアルバムを見ると、両親がこのカメラを使いこなしていたことがわかる。身内ならではの阿吽の呼吸まで写り込んでいる、といってよい。私も小学校高学年の頃から使い始めた。これがカメラいじりの原点となり、ミノルタを経て、現在のソニーへとつながっている。
就職して早速手に入れたのが、ミノルタSRT-101である。ニコンなどは高くて手が届かなかったことに加え、もともとミノルタのカメラを使っていたことも決め手になった。
SRT-101は、TTL開放測光を備えた一眼レフカメラで、ファインダー内の露出計の針を環が追いかける「追針式」だった。私の手元では10年以上にわたって活躍した。
やがてミノルタからAF(オートフォーカス)のαシリーズが発売され、α7700iを購入した。このカメラだけは海外渡航を重ね、ずいぶん働いてもらった。
2000年代に入るとデジタルカメラが幅を利かせるようになった。いくつかのコンパクトデジタルカメラを経て、ソニーのα100にたどり着いた。コニカミノルタのαマウントを継承しており、手持ちのレンズを再利用できることが選択の理由だった。
ただし、当時は私自身のデジタル撮影に関する知識が不足していた。カメラの設定にも手間取り、意外に出番の少ないまま過ごしてしまった。
その後、α65(SLT-A65V)も半ば衝動的に購入した。こちらは通常の一眼レフとは異なり、固定式の半透明ミラーと電子ビューファインダーを備えたカメラだったが、その仕組みに十分慣れないまま、2014年にはNEX-5を手に入れた。
これは、なんと「ミラーレス」と呼ばれる形式のカメラだった。マウントアダプターを介せば、古いミノルタのMCレンズを使えることがわかったからである。
APS-Cとはいえ、オールドレンズでデジタル撮影ができる。そのことに惹かれたのだが、当然ながらMCレンズではAFが使えない。結局、これも中途半端な使い方のまま、α7 IIを購入することになった。
このような経過があるため、私にとって「ミラーレス」という言葉には、当時の一眼レフより一段下の階層にあるカメラ、という印象が長くつきまとっていた。NEX-5で体験したAPS-Cの小型機から、いわゆるフルサイズへ移ってみたくなった、というのがα7 IIを購入した真相である。
ミノルタ・セミPは6×4.5判だったから、35mm判相当のフルサイズは、それより小さい。それでも、私のカメラ遍歴のなかでは一つの到達点だった。そして現在のα7 IVに至っている。
くどくどと自分のカメラの変遷を書いたが、私が「ミラーレス」という言葉に感じる違和感は、単に、一眼レフにあったミラーを取り除いたという構造上の説明だけではない。私自身がAPS-CのNEXから使い始めたため、「一眼レフから何かを省略した、小型で下位のカメラ」という印象が重なってしまうのである。
しかし現在では、プロ用を含めてレンズ交換式カメラの主流は、すでにこの方式へ移った。それでも、いつまでも「何がないか」を基準にしてミラーレスと呼ぶのは、どうもしっくりこない。
さらにソニーは、いつの頃からか「デジタル一眼カメラ」と呼ぶようになった。しかし「一眼」は、もともと二眼レフに対する一眼レフという分類から来た言葉である。レフレックス機構を持たない現在のカメラを「一眼」と呼んでも、その形式を正確に言い表しているとは思えない。
かといって、新しい名前を考える必要もないのかもしれない。
レンズ交換式デジタルカメラ。デジタルカメラ。あるいは、単にカメラ。
もはや「ミラーがない」ことを、わざわざ断る必要のない時代になったように思う。
言葉の意味、特に外来語は意味をしっかり検証したいものである。
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