2026-08-29

最近、弁当に詰めるサラダ用のキャベツの千切りが、だいぶ細くなってきた。

将来の自立を考え、最近は自分で包丁を握ることが多くなった。まだまだ初心者である。それでも、自分で手を動かしてみると、今まで気がつかなかったことがいろいろ見えてくる。

食材は、そのまま食べても美味しいものがある。しかし人間は、焼いたり、煮たり、蒸したり、塩や砂糖などの調味料を加えたりして、より食べやすいものにしてきた。

素材の味をできるだけ残した料理もあれば、加工を重ねて元の素材が何だったのか分からないほど変化したものもある。それぞれの土地の気候風土、手に入る食材、宗教、生活習慣などが重なって、さまざまな食文化が生まれたのだろう。

そんなことを昼食のキャベツを食べながら考えていて、ふと写真のRAWデータも同じではないかと思った。

RAWは食材である。

それを現像することは料理に似ている。露出を整え、ホワイトバランスを調整し、コントラストや彩度を加減する。ノイズを取り除き、必要なら部分補正もする。

素材をなるべくそのまま生かすこともできるし、大胆に手を加えることもできる。

一方、カメラが作るJPEGは、いわば外食産業の料理だろうか。

メーカーが蓄積したノウハウによって、撮影した瞬間に「美味しく食べられる状態」に仕上げてくれる。これはこれで大変便利である。ただし、厨房でどんな調理が行われたのかは、食べる側からはなかなか見えない。

先日、紅玉を使ってコンポートを作ってみた。

そこで驚いたのが砂糖の量だった。食べるだけなら「甘い」で済んでしまうが、自分で作れば、その甘さを作るためにどれほどの砂糖を鍋に入れたのかが目の前に見える。

プロセスを知るというのは、こういうことなのだと思う。

父はまったく料理をしない人だった。母が倒れたときには、しばらく私が代わりを務めた。もっとも、こちらもかなり怪しい料理だったが。

そんな経験もあって、今になって包丁を握る機会を増やしている。

キャベツを細く切るだけでも、やってみれば結構難しい。葉の重ね方、包丁の角度、手の動かし方で出来上がりが違う。それでも繰り返しているうちに、少しずつ細く切れるようになってきた。

考えてみれば、仕事でも同じことを繰り返してきた。

鉛筆を握って図面を描いていた手をマウスに持ち替えて、はや30年になる。写真もフィルムからデジタルになり、今ではRAWデータをパソコンの前で現像している。そして今度は、その手で包丁を握っている。

鉛筆、マウス、カメラ、そして包丁。

ずいぶん違う道具だが、自分で手を動かすことで、それまで見えていなかったプロセスが見えてくる。

完成したものだけを見ていたときとは、少し景色が変わる。

今日のキャベツは、昨日より少し細く切れた。