2026-08-20

昨日、俳優の岸惠子さんが、8月7日に93歳で亡くなったという訃報が報道機関から流れた。奇しくも私の母と同じ昭和7年生まれである。岸惠子さんの年譜は、そのまま母が生きてきた戦中・戦後の激動の時代と重なる。そう考えると、その死が妙に生々しく感じられる。

『君の名は』をはじめ、代表作はほかにも数多くある。テレビなどで過去の映像が流れることはあっても、私にとって岸惠子さんといえば、やはり『ここに泉あり』なのである。

この映画の舞台となった群馬交響楽団(以下、群響)との出会いは、小学生のころの移動音楽教室であった。木造校舎の教室で、小編成の演奏を聴いたのだと思う。私にとって、それがクラシック音楽を初めて生で聴く機会であった。

中学生になり、友人が所属する吹奏楽部が演奏するというので、初めて群馬音楽センターを訪れた。コンクリート打放しの折板構造と、合板パネルを組み合わせた内部空間に魅了された。この建物との出会いが、私が建築への道を志すきっかけとなった。

時は流れ、高崎地区の婦人の集まりである「高崎友の会」の施設を設計する機会を得た。2003年9月1日の竣工式では、風岡裕子さんのピアノ演奏を聴くという幸運に恵まれた。風岡さんは、『ここに泉あり』で岸惠子さんが演じたピアニスト、佐川かの子のモデルといわれる方である。

『ここに泉あり』や出演した岸惠子さんのことは、予備知識として見聞きしていた。しかし、その風岡さんの演奏を実際に聴いたことによって、映画と群響の歴史が、自分自身の記憶へとつながった。

2016年、JIA日本建築家協会関東甲信越支部大会の関連行事として、高崎電気館で『ここに泉あり』の記念上映会が催された。そこで初めて、この映画を鑑賞することができた。

映画では、若き日の岸惠子さんをはじめ、岡田英次、小林桂樹、加東大介など、当時の名優たちの背景に、懐かしい群馬の風景が映し出される。

一方、JIA支部大会の主会場となった群馬音楽センターは、長年にわたって群響の活動拠点であった。その建築は、高崎市民オーケストラ以来の高崎の音楽文化を受け継ぐ場所でもある。市民が自分たちの音楽ホールを持ちたいと願い、全市を挙げた募金活動によって建設費の一部を賄い、実現させた。その建築自体が、高崎市民の強い意志の記録でもある。

2019年8月16日、群馬音楽センターで群響サマーコンサートを聴いた。同年9月には新しい高崎芸術劇場が開館し、群響は長年の本拠地であった群馬音楽センターから新しい劇場へと活動の中心を移した。私が聴いたのは、その移転を目前に控えた、群馬音楽センターでの最後の夏のコンサートであった。

群響の本拠地であった群馬音楽センターは、私が建築の道を選ぶきっかけとなった建物である。この建物を生み出したのは、高崎市民オーケストラの時代から音楽を愛し、支え続けた高崎市民であった。

そして、その群響草創期の物語を映画として伝えたのが『ここに泉あり』であり、ヒロインを演じたのが岸惠子さんだった。

岸惠子さんは生涯に数多くの映画作品に出演された。それでも、私にとっての岸惠子さんは、やはり『ここに泉あり』にあるのだと思う。