今年もお盆の時期がやってきた。
昨年12月に亡くなった高校時代の担任、近藤守先生の新盆の焼香に、級友の新木君とともにご自宅を訪ねる。同じ時刻に、やはり級友の清水君も訪れ、奥様を交えて、久しぶりに近況報告や昔話に花を咲かせた。
当時の前橋工業高校では、卒業後に就職する生徒が大多数だった。それだけに、社会に出る前の最後の学校生活をともにした担任とのつながりは深い。
近藤先生にとって、私たちのクラスは初めて受け持つ学級だった。先生は当時24歳。生徒になめられてはいけないと、ずいぶん気合も入っていたのだろう。一方で、老練な職人たちが待つ建設現場へ生徒をどう送り出すか、熟慮されていたのだとも思う。
わずか3年間ではあったが、人生の進路を決める大切な時期である。遺影を前に、さまざまな出来事を思い出した。
卒業後も級友共々先生のご自宅へ上がり込み、夕食をごちそうになったり、マージャンをしたりと、むしろ卒業後のほうがご縁の深かった時期もある。私自身も当時の習慣に倣い、結婚の際には仲人を引き受けていただいた。
その後も訪問される方が続いたため、席を辞した。
帰りには、旧前橋工業高校の前を通った。学校はすでに石関町へ移転しているが、私たちが過ごした北側の校舎だけは、現在も隣接する工場の一部として使われている。
旧校地には、もともと繊維関係の工場があり、戦時中には中島飛行機の工場となった。前橋工業学校の校舎は別の場所にあったが、1945年8月5日の前橋空襲で焼失し、戦後、この地にあった中島飛行機の職工学校へ移転したという。
私が在校していたころには、まだ戦前の木造建築が数多く残っていた。「本館」と呼ばれた事務室棟をはじめ、木造の体育館や実習棟も、そのまま使われていた。一方で新校舎の建設も進められ、在学中の構内は、常にどこかが工事現場だった。
今日は、昨日までの豪雨が嘘のように、青空の夏が戻ってきた。雨に洗われた空の下、強い日差しが旧校舎に降り注いでいる。
卒業から、すでに56年の歳月が過ぎた。それでも、校舎という建築の形は、そこに刻まれたさまざまな記憶を呼び起こす。
先生の遺影を前に思い出したことと、帰り道に目にした旧校舎の姿とが、私の中で静かにつながった。
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