2026-04-30
「責任」という名の構造材
物心ついて最初に知った天皇は、昭和天皇だった。 戦前の習わしが残る宮中言葉は独特の抑揚があり、子供心に少し聞き取りにくい印象があったのを覚えている。しかし、激動の昭和という時代、政治に翻弄されながらも国家元首としての責任を果たし抜かれた姿は、今なお重く記憶に刻まれている。
終戦を受け入れない軍部を説き伏せ、無為の犠牲を食い止めたこと。屈辱的なマッカーサーとの面会をこなし、戦後の再スタートに道筋をつけたこと。歴代天皇の中でも唯一、外国軍の進駐を許したという歴史の重みを一身に背負われた覚悟は、計り知れないものがある。
組織にとって、私心なく責任を果たすことは最重要事項である。 先般、旅先で「さざれ石」の実体を眼前にし、国家という「一塊の存在」について改めて考えさせられた。同時に思い出したのは、かつて巡り合ったリーダーの姿だ。旧帝国陸軍歩兵第15連隊の将校であったその方は、「部下の過失をすべて受け止めるのが長の務めである」と説かれた。その言葉は、建築基準法の適合性に日々神経を研ぎ澄ませている私の職業倫理とも深く共鳴する。
だからこそ、昨今の自衛官による国歌斉唱問題を巡る政府の対応には、強い危惧を覚えざるを得ない。 自衛隊法の細かな根拠は専門外だが、組織のトップがどうあるべきか、その「構造」くらいは分かる。当該の歌手は、職位からして自らの判断で外部に出られる立場ではないはずだ。幹部からの命令で動くのが組織の常道であり、それを「私用での出演」と言いくるめるのは、子供騙しの詭弁に過ぎない。防衛大臣に至っては、SNSで親密な写真を公開しながら、いざ問題となれば「知らぬ存ぜぬ」では筋が通らない。
制服をまとうということは、個人の意思を超え、組織そのものを体現することだ。 大人が責任を取らない「悪い見本」を、歌手のような若い世代に見せつけてどうするのか。10式戦車の事故にしても、操作ミスであれ機材の不良であれ、失敗を直視し教訓に変える誠実さこそが必要だ。
失敗を隠蔽し、責任を末端に押し付ける組織は、基礎の腐った建物と同じでいつか必ず瓦解する。昭和の日にあたり、かつてのリーダーたちが命懸けで守ろうとした「責任の取り方」という美学が、今や絶滅の危機に瀕しているのではないかと、暗澹たる思いがする。
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