2026-04-27

 先日の藤見物の帰路、撮影データを見返しながら、思いがけずレンズ談義に耽ってしまった。機材自慢でも比較レビューでもない。現場で使って初めて見えてくる、道具と人間の相性についてである。

TAMRONの描写に感じた「水彩画」の記憶

この日使った TAMRON 28-300mm F/4-7.1 Di III VC VXD の画像を見ていて、背景の溶け方に独特の味を感じた。輪郭を立て過ぎず、面として柔らかくつながっていく。まるで水彩絵の具を滲ませるような描写である。

一方、SIGMAA20-200mm f3.5-6.3 dg contemporary のレンズには、もう少し律儀に階調を積み上げ、構造を描き切ろうとする気配がある。どちらが優れているという話ではない。藤の花のように、揺れ、湿気、気配を写したい日には、TAMRONのやわらかさが心地よかった。

望遠の遠近感は「空気遠近法」

望遠レンズは圧縮効果と言われる。しかし実際には、遠近感そのものを消してしまうのではなく、距離を色やコントラストの差で語らせる。

手前は濃く、奥は淡く。輪郭は遠くなるほど曖昧になる。絵画でいう空気遠近法に近い。藤棚の奥へ奥へと花房が霞んでいく様子など、まさにそれであった。

広角が空間を説明するレンズなら、望遠は空間の気配を編集するレンズである。

「暗いレンズ」というSNS評は本当か

高倍率ズームには、しばしば「暗いレンズ」という評価がつきまとう。たしかに28-300mmは大口径ではない。

しかし望遠域では焦点距離が長くなるため、F値の数字ほど不利ではない。背景は十分整理できるし、被写界深度も浅くなる。現代のデジタル機なら高感度ISOで露出は十分補える。むしろ必要なのは、手ブレや被写体ブレを防ぐためのシャッター速度である。

広角域にしても、風景や建築ではパンフォーカス気味に撮ることが多い。最初から絞って使うなら、開放F4で困る場面は案外少ない。

つまり、スペック表の弱点と、実地での弱点は一致しない。

万能ではない。しかし便利である

TAMRON 28-300mmは万能レンズではない。画質の一点突破なら専用ズームや単焦点に及ばぬ場面もある。

それでも、

28mmから300mmまで一本で届く
雨天でレンズ交換せずに済む
荷物が減る
撮影機会を逃しにくい

という利点は大きい。

この日のような雨中の藤見物では、交換不要の価値が画質差を上回った。

24-70mmという「美人」

もっとも、SIGMA ART 24–70mm F2.8 DG DN IIの魅力も否定できない。良い24-70mmには、うっとりするような解像感がある。線が締まり、素材感が立ち、画面全体に品がある。

便利さでは28-300mm。惚れ惚れする描写では24-70mm。
こういうレンズは、理屈では手放せても感情が許さない。美人はやはり手放せないのである。

レンズ沼から岸へ

若い頃なら、新製品が出るたびに気持ちが揺れたかもしれない。だが最近は少し違う。

今日は200mmでは足りない
建築には20mmが要る
雨なら交換したくない
花には柔らかい描写が合う

そういう判断が先に立つようになった。機材の評判ではなく、撮るものと条件から選ぶようになれば、沼で溺れずに済む。

レンズ沼に落ちたのではない。水深が読めるようになっただけである。

結び

写真趣味の成熟とは、高価なレンズを揃えることではなく、自分に必要な焦点距離と描写を知ることかもしれない。

この日、藤を撮りながら考えたのは、そんな当たり前のことであった。