ようやく、しかし慌ただしく街に春の花が見られるようになった。
この時期、ふと思い起こすのが団伊玖磨作曲の「花の街」という曲だ。終戦後の混乱期に、人々に希望を示す歌として生まれたという。祝典行進曲と並び、軽やかで美しい旋律が心に残る名曲である。

外気温がだいぶ上がってきたので、カメラを首から下げて街の様子を撮ろうと出かけたが、途中で電池を入れ忘れたことに気づいた。一度家へ引き返し、ついでに自転車のタイヤに空気を入れ、今日は「自転車散歩」に切り替えることにした。

まずお目当てにしたのは臨江閣下のハクモクレンだったが、前橋公園に差し掛かると、盛りを過ぎて少し寂しい様子だった。気を取り直して源英寺裏の坂道を広瀬川の方へと下る。
かつて「タンス屋横丁」と呼ばれた小路も、今では民家が建て替えられ、往時の面影を残す家はほとんどない。この小路沿いには、かつて通った神明幼稚園があった。
先日、父の遺品を整理していたら、妹が使っていた幼稚園の木製の名札が出てきた。20歳の1月15日に早世した彼女が、かつて神明幼稚園の園庭を元気に走り回っていた証だ。父はそれを、宝物のように大切に手元に置いていたのだろう。
今日は母を連れて、お彼岸の墓参りに行ってきた。広瀬川に芽吹いた柳の若緑を眺めながら、風になった彼女もまた、この街の春を一緒に歩いているような気がした。

広瀬川の柳はすっかり芽吹き、新緑の柔らかいレースのカーテンのように垂れ下がっている。両親がお世話になった老人ホームの下を通り、比刀根橋へ出る。戦前からの古い橋で、かつては空襲の傷跡も残っていたが、今は補修されてその跡も定かではない。古くから赤城南麓からの玄関口として街を支えてきた橋だ。

前橋文学館の前では、気の早いソメイヨシノが一足先に花を咲かせていた。まさに春の訪れを実感する瞬間である。
紅茶専門店「リバティ」で小休止した後、さらに川沿いを諏訪橋の袂まで移動した。ここの柳も見事なものだ。

駆け足でやってきた春との出会いを、心ゆくまで楽しんだ一日となった。

追記
 石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも
(志貴皇子)