「民意」の深層と今後の注視
2026年1月12日、前橋市長選挙は前職・小川晶氏の再選という形で幕を閉じた。不祥事による辞職・出直しという、政治家としてこれ以上ない逆風の中での勝利。しかし、この結果を「ポピュリズムの勝利」や「禊(みそぎ)の完了」などと安易に総括することは、地元の実相を見誤る危うさを孕んでいる。
当選確定の報に沸くシンパたちの姿、あの異様なまでの熱狂と偏りには、言い知れぬ違和感を禁じ得ない。あそこに集った人々が、果たして前橋のすべてを代表しているのか。否、断じてそうではない。そこには、勝利を喜ぶでもなく、ただ冷徹に、そして厳しい眼差しで「今後の推移を注視する」と心に決めた、多くの沈黙する市民がいることを忘れてはならない。
今回の選挙で問われたのは、単なる現職への信任ではない。その背後で蠢く特定グループや民間勢力の動きに対する、市民の根強い拒否感と不安である。特定勢力が描く「理想郷」の実現のために、政治がその道具に成り下がってはいないか。その疑念は、今回の再選をもって消え去ったわけではないのだ。
特に、馬場川や駅前通りといった「変貌」の渦中にある地域の住民は、置き去りにされている。国道50号を規制し、群馬大橋を麻痺させるような交通の混乱。それが「恒例行事」の枠を越え、特定のビジョンのために「恒常的」な不便を強いるものへ変質していくのであれば、それは生活者への冒涜に等しい。
街を創るのは、一部の経済人の「閃き」や「演出」ではない。地元の酸いも甘いも知り尽くした「自治会組織」であり、その地で日々を営む住民の「安寧」そのものであるはずだ。ミクロな子育て支援や給食無償化の継続は確かに評価されよう。しかし、合併後の広大な市域全体をどう再構築し、地に足の着いたグランドデザインを描くのか。そのマクロな戦略なき「点」の開発は、いずれ限界を迎える。
小川市長に与えられたのは、白紙委任状ではない。重い、あまりに重い「執行猶予」である。特定勢力の顔色を伺うのではなく、沈黙する住民の声にこそ、身を低くして耳を傾けるべきだ。
この街が、特定グループの「実験場」として消費されていくのか。あるいは、真に市民の手に取り戻されるのか。私はこれからも、一刻たりとも目を離さずに注視していく。
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