今年もというべきか2回めだが町内の新年互礼会出席のため前橋八幡宮に参拝する。福寿会、自治会、成(青)年会と3つの会に所属、三会玉串を同拝する。過疎地の宿命で若い人たちは流出して11名いた同級生も現在居住しているのは自分のみ。先が思いやられるが時の流れには逆らえない。日本全体の問題である。長大な海岸線を持つ日本の安全保障の面からも人口の首都圏集中による地方の空洞化は由々しい問題である。まあ政治家でもない独り言。

参拝の作法は二拝二拍一拝というのが一般的だがこの決まりごと、調べてみると興味深い。大きな神社によって微妙に違いようだし、戦前の文部省の指令も色々変わっている。戦前の映像を見ると柏では打っていないシーンが出てくる。「ハワイ・マレー沖海戦」の空母赤城の真珠湾出撃準備中に艦内の神棚に向かって柏手を打っていない搭乗員の後ろ姿が映っている。

つまり「作法」という言葉をどう解釈するか、マスコミに流布されていることをうのみにするのは良くない。動作の中で祈るタイミングがないことを疑問視する人もいる。玉串を捧げる際には祈る時間はある。いま自宅では柏では打たない。拝むのも仏教様式らしい。自分なりの正しい作法を考えたい。