自分の生きてきた時間の中で最大の災害は6年前の3月11日に起きた大地震であろう。
テレビに写る人の命を弄ぶ脅威をただただ傍観しているばかりだった。
被災者支援のため「東松島市」に向かったときに見た光景は一生忘れられないだろう。
触れたくない気持と忘れてほしくない気持が微妙に交差する。まだまだ何も解決していないのだ。オリンピックどころではないという感が一層深まる。

この地震では原子力施設が大きな被害を受けた。非常発電機が海水に浸かり故障したために大事に至ったかのような報道がされたが完全に建屋は機能を果たさなくなっている。話のすり替えだ。安全と経済を秤にかけるからこのようなことになる。
今は更に人災の可能性が高まっている。長距離射程のミサイルを打ちまくっている隣国から原子力施設までの距離はあまりにも近い。
低次元の贈収賄事件の責任逃れで汲々としていないでさっさと責任をとって身を処し「国を守る」ことに専念してほしい。

JIA群馬クラブ「まちなか建築展」も最終日。30分ほどお話をさせてもらう。
雑談の中から生まれたスライド上映を交え今思っていることを話す。

最近若い人の中には作品の作り込みより、まちづくりなど広範囲の仕事に興味を持っている人が増えてきたような気がする。
確かに新築が少なくなり、既存改修の仕事も増えてきた。無から作り上げる新築案件と異なり、既存改修は隣接地等既存環境までふくめ考える必要があるがデザインの上からは何かと制約が多かったり悪く言えば小手先で作れる危険性を持っている。

老練な職人の手を煩わせずにも「のようなもの」は出来てしまう。
一方、既存改修は目に見えない瑕疵を常に抱えている。これを予見することができるには豊富な実務経験がいる。
既存改修ということを前向きに捉えられるかどうか、自分たちの世代にはなかなか割り切れないものもある。