1964年10月10日、学校からの帰り道の快晴の空の色は忘れられないものがある。
アンツーカーの鮮やかな色のトラックを日本選手団が整然と行進していく姿。
そして演奏されていた「東京オリンピックマーチ」。国立競技場を初めて知ったのもこの日だった。

この競技場はまもなく屋根付きの競技場に生まれ変わる。設計はイギリス在住のイラクの女性建築家「ザハ・ハディッド」である。
日本の妹島も最後までコンペの戦いを続けたが及ばなかった。
偏見はないつもりだが外国のしかも女性の建築家が設計するというのも国際的に成熟した日本の姿であろう。2回目の改築となる競技場はどのような姿を見せるのだろう。

最初の競技場は雨の学徒出陣式の映像で記憶される。
狂気の時代、昭和18年のことである。この時の行進曲が陸軍分列行進曲であり、現在も陸自の行事で必ず演奏される行進曲である。

改築後の競技場での東京オリンピック開会式は赤のブレザーが印象的だった。
東京オリンピックマーチは古関裕而作曲の明るい曲想の行進曲だが当時の陸自中央音楽隊の演奏最近の海自東京音楽隊の演奏を比べると時代が時代が豊かになったことを実感する。7年後の東京大会の開会式はどんな行進曲が演奏されるのだろう。

こういった楽しみと裏腹に今朝の日本国首相の安倍の無責任極まりない福島第一の事後処理に関する発言には冷水を浴びせかけられた。
安倍に如何様な責任が取れるというのか。
そもそもオリンピックがスポーツショービジネスとなって久しい。
高円宮妃殿下まで担ぎ出しての演出として格好良く言い切ったつもりでも極めて虚しい。

現在、ようやく東北地方の復興の兆しが見えて来たようだ。
現在建設業界では人材不足、資材不足にの消費税増税問題が追い打ちをかけてコストが急騰し始めている。
ここのところ職人の手配のめどが立たないと見積もりすら断られるケースが出てきている。
設計仲間も同様のこのとを言っているから自分のところのことだけではなさそうだ。

このような情勢下、オリンピック関連施設のために東京地方に工事が集中すると事態は更に深刻になる。
本来震災復興に優先的に配分され無くてはならない。人的、物的資源が東京に集まるとしたら本末転倒であろう。
国、東京と地方との溝がますます深まる感が強い。
福島第一の後手に回る復旧の目処も立たないのに世界への恥さらしを覚悟の上のオリンピック。
もう浮かれていないで慎重な対応を望む。