
岩崎(岩崎明)さんの葬儀に参列した。帰路群馬県生涯学習センターに立ち寄る。岩崎さんが群馬県の設計事務所の選抜メンバーをまとめ設計を担当された建築である。
岩崎さんはかつて勤務した福島建築設計事務所の上司であり、一級建築士として先輩であり、日本建築家協会の会員同士でもあった。
職名は企画室長であったから自分は退職するまで岩崎室長と読んでいたが退職後は岩崎さんとしてお付き合いいただいた。
勤務が重なった期間は15年ほどであったが、多くのことを学ばせていただいた。
岩崎さんは群馬県庁の技師出身で仕事の関係で中村順平などとも交流があり、東京で事務所を開設されていたが、福島建築設計事務所の所長に乞われて群馬に戻り、入所以来事務所の代表作を次々と手がけ、長年屋台骨を支えた。
岩崎さんは」福島建築設計事務所に着任されると、いくつかの改革を進めた。
図面の基準線をJIA製図通則準拠に改めた。X座標、Y座標、Z座標の表現を厳密に適用するやり方である。
現在福島建築設計事務所出身のいくつかの事務所はそれを引き継いでいる。
要は基本がブレないことを大事にされた。
建築の設計は設計者によって感覚の差異から図面表現そのものまで変わってしまって建築の共通言語である図面の意思疎通にまで支障をきたすことになってしまう。
書き込む内容は個人差があっても表示方法は基本に忠実にということであろう。
設計図に書き込むことは十分吟味し、現場で安易な変更をしないこと。だから米田設計も図面の量が多い。
実際建築主の中には気分屋で気が変わりやすい人もいるのでそれを通すことは至難の技なのだが。
岩崎さんのデザインは近代建築の影響が強い。戦後の混乱期から高度成長、バブル崩壊と激動の昭和平成の建築界を見続けてこられた。
そのなかで一貫して近代建築の路線を歩まれたようだ。
やや全体に重たいプロポーションの建築が特徴であった。
今振り返ってみると、基本がブレない設計手法は受け継ごうと思った。
当然寸法感覚は異なるから出来る建築は全く違うものだ。
建築士事務所として何が継続していくのか。また可能なのか。遺影を拝見しながら福島建築設計事務所時代のあれこれを思い起こした。
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