
住宅という建築に求められるのはまずシェルターとして自然界から家族の保護、
いっぽう地球温暖化をはじめとする環境悪化への対応。
そしてここちよさというスケールの当てようもないあいまいな評価軸。
いずれにしても質への要求は高まる一方である。
そんなおり、最近完成した住宅では半完成の状態で引き渡されたものがある。
戦後のある時期まで、白木の床を糠袋で拭き上げるのが一般的であった。
障子貼りも自分でする。
塗装された合板フロアーが一般的になって以来、床の手入れも変わってきた。
今回は床の最終塗装を建築主のご家族が行った。
もちろん塗料や道具、塗り方まで米田設計のスタッフが一緒になって手配した。
そもそも設計事務所サイドが施工にそこまでかかわることが良いことかどうか評価のわかれるところである。
すなわちプロの職人さんに混ざって仕事をするなど大変僭越なことなのかもしれないのだ。
しかし住宅は工事の完成をもって完成ではなくむしろスタートであるといえる。
建築主の価値観によってしつらえられた空間が家族の成長とともに変化していく。
熟成も劣化も両方ある。
しかし過ごし時間とともにその住まいは存在し続けるのだ。
品質管理だとか、現代では責任論ばかり先行していてとかく保身にばかり走る世の中だ。
半完成の状態であとを建築主にゆだねるということはいわば現代的な思考とはいえないかもしれない。
しかし、こと住宅のように消費される存在ではなくむしろ増殖していくととらえれば、工事引き渡しは時間軸の中ではほんの一瞬なのかもしれない。
新しく仕上がった住まいが成長していく様を見守りたい。
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