今日は金子進一の葬儀。中学時代の同級生10名と前橋市斎場でみおくる。
同級生とは亡くなる3日前までメールのやり取りをしていたそうだ。

最初の肺の手術以来、彼はいつも死というものを観念的ではなく、実体験として対峙することが迫られていた。
そのような状態での穏やかに淡々とした暮らし。
もうそういったことにも向かい合わなくて良くなったんだな。
彼の絵からはその優しさとユーモラスな表現の奥に寂しさというものを感じていた。

明日は自分の誕生日、月並みなことだが悔いのない残りの時間を大切にしよう。