
今日は気分転換に少し遠くまで走った。
久しぶりにかつて携わった学校の前を通りかかったが、こちらは現在休校だとか。インフルエンザではない。子供がいないのだ。
建築人生の前半半分は公共建築に関わった。
ちょうど校舎の不燃化が急がれた時期でもあり、毎年多くの校舎の設計の仕事が続いたが、すでに解体されてしまったもの1校(八ツ場ダム水没)、校舎は残るものの廃校、休校2校。これからも増えるだろう。
いずれも過疎地である。
子どもたちがいなくなることはこれからこの集落に住むヒトがいなくなることを意味している。
山間部にはいまでもかつての養蚕の名残りを留める大きな農家が点在して里山の景観の重要な要素となっているがヒトが住まなくなれば、やがて朽ちて消えていく運命である。
山の動物たちがわがもの顔でのし歩くようになるのか。
すでに現実のものとなっている話も伝わってくる。
鉄道の廃線に見るまでもなく、日本の国土はどうなるのだろうか。
先週は東京のはなやかな空間にいた。
このあまりの落差。あまりに重い問題だ。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。