最近、「北風は芽を」という児童文学の小品を集めた作品集を読んだ。
そもそも大人向けの小説さえ読まずにいたのにたまたま読む機会を得た。

前橋の中心街がアメリカ軍の空襲で焼け落ちた話をしているうちに「北風は芽を」の話題となり、絶版本を探すことに。
偶然、東北地方のある小学校からの払い下げ品と思われる本がアマゾンで見つかり購入することに。
その小学校は米軍三沢基地にも程近い地域の小学校であった。

声高に戦争反対を叫んいるわけでもないし、ほとんどの小説があったままのことを淡々と書き連ねている。
子供たちに行間にあるなにかを感じ取ってもらおうとしているのであろう。

この中で本のタイトルとなった「北風は芽を」は単に戦争を取り上げただけでなく、民族問題にも触れるもので、戦争末期の世相を描写したものだ。
日本は米英を中心とする連合国に敗れ、7年に渡る占領下に置かれた。
それまで朝鮮半島や中国東北地方を占領していた立場から一転被占領国になったわけだ。
祖母たちがアメリカ人のことをアメリカさんとよんでいたことが妙に卑屈にも聞こえた。

アメリカは占領すると軍部に批判的であった左翼層をうまく利用し、半軍国主義運動を扇動したり、財閥解体、農地解放を通じて日本の資産階級の破壊を行った。
一方朝鮮戦争が始まるやレッドパージと称し、利用した左翼層を追放した。
要は占領側の都合で日本のシステムを次々に破壊していった。
裕福なアメリカの生活を宣伝し、アメリカコンプレックスを染み込ませていった。
そしていまだに腰巾着の立場を脱し得ない状況、オスプレイや沖縄の現状が続いている。

不思議な事に非占領下の屈辱を日本人は殆ど覚えていない、感じていない。
そのことが隣国の感情を理解しにくくしているのではないか。