うけうりではあるが食事の前に「いただきます。」と言ってから手をつけるのは「命をいただきます」ということだそうだ。
日頃口にする食肉類(牛、豚、鶏)等は調理後はもちろん、肉屋の店頭でも切り分けしてあって、生きていた時を想像するのは難しい。
飼育して、屠殺して、解体する一連の流れをほとんどの人は見たことがないはずだ。
毎日餌を与え、世話をしてきた生き物の命を奪うこと。しかしそれらを糧に生きている私たち。
過程が見えなくともやっていることは過去と現代はたいして本質は変わらない。
TVのコマーシャルで気になったものがある。電気自動車がCO2をあたかも発生しないような表現である。
ハイブリッド車は自前で発電しているのでガソリンエンジンから必ずCO2を発生させているが家庭用商用電力は使用していない。
一方電気自動車は家庭用商用電力を使用している。
家庭用商用電力は原発がほとんど停止状態の今、ほとんど火力発電によって作られた電力を延々と送電線で電線の電気抵抗により熱に変えながら、つまりロスを繰り返しながらやっとたどり着いた電気なのだ。
したがって電気自動車は単体ではCO2を発生しないが、動力源の電気はCO2を大量に発生させているということだ。
コストの点でも税金だらけのガソリンと電気を単純に比較するのは不公平というものだ。
原型がどうなっていたか知らずに食べている食肉と、電気が相似形に見えてならない。
東京など大都市という人口環境の中にいる日本の中枢の人たちは現実の世界から離れているから予知能力や想像力が退化してはいないか。
したり顔でTVでコメントを垂れ流す産学官、マスコミの人たちを疑った目で見てしまう。
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