
事務所の中を片づけていたら計算尺が出てきた。
もう40年以上前の代物である。
まだ電卓さえ無い時代では技術計算においては計算尺とそろばんがまだ主役だった。
以前の勤め先は創立者が構造系の技術者であったため、公共建築の不燃化が進められる中で鉄筋コンクリート造の設計を得意としていて大型の公共工事の設計を手掛けていた。
構造担当の所員がこれらの道具を操り設計を進めるのを入所して目を見張って眺めていたものだ。
今考えると当然精度において現代のPCには及ばないのだが、不自由さゆえに勘が研ぎ澄まされていたのではないかと思う。
構造計算プログラムが市販されさすがに30年くらい前には電子計算機による計算が主流になってきたが計算尺の経験のある設計者は入力ミス等、勘ではじけたのではないかと思う。
そこで福島原発。忘れっぽい世間では放射性物質の拡散は話題となっても福島P1のことはあまり報じられなくなってきたように思う。
福島原発の建設年次を考えれば計算尺の時代の建物である。
カンピュータで設計された建物といえる。
経験に裏付けられた勘は鋭いものであっても勘は勘だ。
現代の最新の耐震設計とは設計手法そのものが稚拙であることは言うまでもない。
地震さえこなければ暴露するはなかったのだが。
現代科学の粋を集めたような原発でさえせいぜいこんなものだ。
現在公立学校の耐震工事が夏休みの度に行われていたのに原発は放置されたままだった。
経済優先の企業とはいえあまりに無責任であったということだ。
岩手県でまた耐震偽装事件。
本質は設計行為の単なる手抜きのようだ。
所員に言っていることがある。法律や学会基準などは法律遵守の立場から守るとして自分の物差しで考えることが設計者の責任であると。
いろいろ考えさせられる。
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