ブログで書くのも少し変な気がするが・・・
最近Facebookで遊んでいる。
遠方の知人の様子が分かって面白い。

そんなわけで備忘録への記述が疎遠になってしまった。
もともと自分史として書き始めたので他人とのかかわりはあまり意識していない。
もっとも愚痴を聞いてほしいようなこともある。

自分の考えをまとめるのに慣れない文章を書いてみるのもよいことだ。
原発事故以降、現実から目をそらそうとしている自分がある。
4月に東松島市で見聞きした現実とは違い、放射能汚染は確実に身の回りに迫りつつある。
ロードバイクで日曜日に100kmほど走っている。当然屋外に6時間近くいるわけでどのくらい被ばくしているかわからないがそうすっきり景色を楽しんでいられない今年の秋だ。
今群馬の山々は紅葉に染まりつつある。もう2カ月もすれば本格的な冬だ。やがて山間部に降り積もった雪が解け里に流れ出すころ一体どのようになるのだろう。

電気エネルギーは現代生活を支える重要なインフラではあるが、通信、照明以外はなにも電気でなくても代わりはある。
高気密高断熱住宅のようにはじめから電気式エアコンありきの設計は見直す必要があるだろう。日射遮蔽や、通風といった建築の廻りの微気候にももっと注意を払う必要がある。
調理は電磁波の危険はともかく、火を扱えなくなったら人間といえるのか。便利さばかり求めてきた現代生活への警鐘だ。

UIA大会では朝日新聞系の画像展示を行った。被災地の画像である。プロの画像のなんと冷たいこと。これがプロなのか。疑問が残る。
非日常はかっこうの被写体には違いない。しかしびしっと決まったアングルからは現実がかえって伝わってこない。
棺を下から取る必要があるのだろうか。

情報とは「なさけ」を伝えるものだそうだ。当然送り手の感情や思想が入る。彼らの伝えたかったことは自然の無常なのか、無作為だった人間への怒りなのかわからなかった。
そういえばマスコミは屁理屈をつけてもっと悲惨な事実を意図的に伝えていないそうだ。
オブラードに包んでしまうことで防災への手抜かりや、原発の存続に広告スポンサーへの配慮をしていたとしたら太平洋戦争の時の軍部におもねった新聞とまったく同じだ。
影響力の大きさを誇示するのではなく良心に従って働いてほしいものだ。