松家仁之著の「火山ふもとで」文庫版を読む。facebook上でふと見かけ、柄にもなく取り寄せ読んだ。火山とは上信国境の浅間山を指す。

読む気持ちにさせたのが主人公が建築設計事務所に就職したての若い建築家の卵であったということとその主宰者がどうも「吉村順三」をモデルにしたということだった。
但しここで描かれているのは作者が意識していた建築家のひとりとして引用している。

舞台となる「夏の家」は一般的には1933年に建てられたA・レーモンドの夏季の軽井沢事務所を指すが当時この建築には吉村順三も関わっていたといわれている。現在の「ペイネ美術館」
吉村順三の軽井沢の山荘は小規模ながら凝縮された空間は秀作として名高い。

主人公は就職したての若い建築家。私自身の就職時のころを思い出してつい文章に引き込まれていく。

描写には製図用具から建築用語、著名建築家、及びその作品のことが非常に丁寧に描かれ、わずか半年足らずの期間を平易に怒号も高笑いもなく、内面の描写に終始している。
建築、料理、車、音楽へのうんちくが上流階級の意識の裏にあることを表すことで上品さを演出している一方で、仕事に関する倫理観と私生活での倫理観のずれを無視してきれいにまとめているところを読み手がどうとらえるか。「きれい」終始していることにある種の物足りなさを感じさせている。主宰者の脳梗塞という事態であっけなく時間が途切れる。
私自身の就職から、独立開業、事業承継の55年を、あっという間に過ぎた出来事を反芻して思い起こした。
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