2011年3月は建築士事務所を開設して20年目の節目の月だった。
物が目の前で落ち、電線が波打って揺れる光景など地震の恐怖を初めて味わった。
しかし現実はその程度のものではなくTVが伝える惨状は言葉にはできない異常な光景だった。
原発の被災による放射能汚染も初めての経験だった。いまだ後処理のめどが立たずにいる。
過去に書いた備忘録から当時を思い起こすことにした。

災害派遣

2011年04月20日 | ひとりごと
午前3時、前橋を出発し、名取市へ。午前7時30分に到着する。
道中、桜の花は満開だ。

JIAの仲間と別れ東松島市へ。我々の任務は住宅相談だ。
現地を一巡する。TVで見慣れた惨状が展開する。田んぼに取り残され車や船舶。造船所では大きな外航船が陸地に乗り上げている。

午前10時、作業を開始する。
今日は災害支援金の申し込みの初日。申請の仕方の説明に終始する。
市役所職員は外回りに忙殺され外部からの応援で業務が進む。
福岡県、熊本県、北海道といった各地の自治体職員が応対している。
JIA東北支部の佐々木さんがてきぱきと相談に応じる。
本来業務以外も親切に対応されていたのが印象的だ。

市民の方は一見極めて冷静だ。
深刻な事態、身内の死亡、家屋の流失の様子を淡々と話されるのがかえって悲しい。

津波の跡地ではまだまだ不明者の捜索が続く。
異常な日常。
これから混乱の収束までの道のりは遠い。

入学式
2011年04月21日 | ひとりごと
宮城県では今日、4月21日は小学校の入学式。
東松島市役所にも入学式帰りの親子連れ、の姿も。
被災者であふれる1階ロビーでは好対照の印象だ。
晴れの日がこのような状況下になろうとは誰が想像したであろうか。

この町の人たちは今回の津波をきわめて冷静に受け止めているように見える。
震災支援金の受付を待つ人は整理券を渡され二時間近く待たされているのに静かに待っておられる。群馬でもしものときははたしてどうなるのだろうか。
現地での活動も二日目、慣れてきたとはいえ重たい現実のなかで困惑する事だらけだ。

被災地から学ぶこと]
2011年04月23日 | ひとりごと
今夜11時35分、前橋帰着。
三日間の災害派遣が終了する。
今回は東松島市での窓口業務に終始する。
この間、多くの市民と接する。
地震による被害は思いのほか少なかったと思われるが、一方津波の被害ははじめてみる事もあるがまことに甚大である。
今回も想定外という言葉がマスコミで多く使われた。
その意味では木造住宅の耐震性能は想定内のものであったといえる。
但し、想定を上回ったら倒壊等の損害を出していたということで人命にもかかわる問題だ。

津波について考えるとまったく人間の知恵の及ばないものである。
津波の高さを過去の事例に基づいて判断することはほぼ無意味だ。
技術の進歩で自然をねじ伏せることができるように勝手に判断していたに過ぎない。

原発にしても100_%本当に安全であると確信していたのだろうか。
想定した以上の津波の高さであったと説明しているが想定外のときはどうなるのか想像力の欠如以外の何者でもないのではないか。

建築の設計においても経験値に基づく判断で構造設計がなされてきた。
やはり想定以上の力が加わったとき何が起こるか建築主に対して説明責任がありそうだ。

環境性能にしての機械設備に頼りすぎているようだ。
もともと建築形態は気候風土によって形作られてきたこと思い起こすことが必要といえる。