9日間の冬休み終わる。
亡父の喪中につき年始のあいさつ回りも差し控え、喪中はがきを年末に出して年賀状書きもなく手持無沙汰な正月休みとなった。人とあいさつも交わさず、毎年100通以上届いた年賀状も届かずといったちょっとした孤独感を味わう。

たぶん郵便料金値上げが引き金になったのか、年賀状終いの連絡が相次いだのも今年の特徴。先輩方から以前にの年賀状終いの通知はいただいていたが高齢で年賀状書きも苦痛になったのだと察したが、今年は若い方からもたくさん年賀状終いの通知を頂く。

来年は年賀状を出そうと思っていたので出鼻をくじかれた印象。年賀状だけで何年もあっておらず、唯一年賀状でつながっている友人も数人いる。自分としては印刷で済ますのもいかがなものかと思っていて、せめて一言添えようと思ってきた。

自分が生きている証として来年も年賀状を出そうと思う。できれば肉筆で。もちろん返礼としての年賀状を求めるつもりもなく、その気持ちも伝えるつもりだ。一方的に送って、とうとう書けなくなったとき、関係性が終わる。それはやむを得ないこと。

年賀状終いの風潮は最近よく耳にする「コスパ」とか「タイパ」といったことに関連するのかもしれない。考え方の違いだから先方を責めるつもりはまったくないが、人間にしかできないことをやろうよということだ。
挨拶は大切。