日曜劇場の「さよならマエストロ」を観ていてふと群馬交響楽団のことを思い出した。
実業家井上房一郎氏を始め高崎の街の人たちの理解は戦後の混乱期にあってその民度の高さは築筆すべきことだろう。
そしてそのつながりで小澤征爾氏のことも思い出された。

創成期の移動音楽教室の様子は映画「ここに泉あり」にあるが、1957年ころに小澤征爾氏も移動音楽教室で指揮棒を振っていたと記録されている。
実際長年マネージャーであった丸山勝廣氏の1992年の楽団葬の際にバッハのアリアを指揮している。

実業家井上房一郎氏を始め高崎の街の人たちの理解は戦後の混乱期にあって民度の高さは築筆すべきことだろう。

西欧音楽の源流であるクラシック音楽は長い年月の間淘汰されたものだけが現代において聴くことができる。完成形でありながらも歌舞伎のように繰り返し繰り返し演奏される生命力を持っている。
宗教音楽から独立した以降とくに大編成のオーケストラのダイナミックレンジの広さは現在の電子楽器といえども太刀打ちできない。

最近レコードを再び聴き始めてやはりダイナミックレンジの広さと色彩は心地よいもので硬苦しさなど全く感じられない。現代の商業音楽のつまらなさ、主にビジュアル面偏重と歌詞の破綻には辟易する。
英語が聞き取れればもう少し理解できるのかもしれないが歌詞も分からずボーっと聞いているのも疲れるものだ。

追悼番組などからも東洋人として西欧音楽の本丸に単身切り込んでいく精神力と世界に認めさせた実力を改めて思い起こした。