現山本市長は歴代市長(自分の知っている)なかで唯一夢を語った市長だったと思う。
人間、自分の描いた夢実現のために様々な苦労をあえてしているのだろうと思うし、特にこの気持ちを持つものを青年というのだろう。

日々、朝目覚めて、ご飯を食べ、仕事に出かけ、家で夕食をとってまた寝るというサイクルは生活の基本であっても夢を実現させるための基盤なのだと思う。
究極「人間は食べるために生きるのか、生きるために食べるのか」という問答に行きつく。

但し、今回の山本龍氏の敗因は、ご自身の夢を市民に無意識に強要していなかっただろうか。「アート」という抽象的な概念が市民にすとんと落ちていただろうか。DXという最新のテクノロジーもしかり、グローバル経済に乗り出そうという高い志も一般市民には親近感を持たせることができただろうか。
また幹部市職員の不正や教育委員会の失策など足元のガバナンスはどうだったのだろうか。給料カットもしかり、一般市民の生活感覚を理解していただろうか。

私はこの辺の齟齬が原因ではと思う。惜しいのである。自民党の腐敗のせいにばかりしてはいられない。

私は人間食べるために生きているのではないと思う。新市長のスタンスが生活者の目先の欲求を満足させることだけに集中したら、活力ある市民は失望してしまう。
前橋市も多くの地方自治体もどろ船状態でほおっておけばどんどん溶けて行ってしまう。少子高齢化による縮小化との戦いであろう。決して現状維持は許されない。