今朝、目が覚めたとき、ふと昔の言葉を思い出した。

かつて、雇用促進事業団末期の補助金事業に関わっていたことがある。その際、先方の担当者が、半ば自嘲するようにこう話していた。

「この団体は、存在そのものが会計検査の指摘事項なのです」

個々の事業や補助金の使途が適切かという以前に、その組織を存続させる理由があるのか。そのこと自体が問われているという意味であった。

この言葉が、なぜか現在の国際刑事裁判所(ICC)をめぐる問題と重なった。

米国は、ICCの赤根智子所長らを対象に、米国内の資産凍結や金融取引の制限を伴う措置を発表した。一般には「制裁」と報じられているが、犯罪や違法行為に対する処分というより、ICCの司法判断に対する報復措置と呼ぶほうが実態に近いように思う。

もっとも、米国側には、ICCに加盟していない国の国民にまで管轄権を及ぼすことへの異論がある。ICCの判断が常に正しいと決めつけることもできない。

しかし、これは赤根所長という一個人だけの問題ではない。強国や非加盟国が関係する事件に、国際刑事裁判所がどこまで関与できるのか。圧力を受けても司法機関として独立性を保てるのか。組織の存在理由そのものが問われている。

日本政府は赤根氏を候補者として送り出し、同氏は締約国による選挙を経て裁判官となり、現在は所長を務めている。選出後の裁判官は日本政府の代理人ではなく、独立した立場にある。だからこそ、日本政府にも態度を明確にする責任があるのではないか。

米国側の主張に理があり、ICCの制度に根本的な問題があると判断するなら、制度改革を求め、場合によっては脱退まで検討すべきであろう。反対に、ICCの管轄権と司法の独立を支持するなら、今回の措置に対して、もう少し明確な意思を示す必要がある。

日本政府は「大変残念」と表明し、ICCへの支持を改めて強調した。しかし、支持するのか、距離を置くのか。その先の具体的な姿勢は、まだよく見えない。

かつては、打合せのために上京し、仕事が終わらなければ東京に泊まることもあった。防衛施設庁が六本木の檜町にあった時代には、郵政省の宿舎に泊めていただいたこともある。電子メールなどなく、人が出向き、顔を合わせなければ仕事が進まない時代であった。

行政組織と長く仕事をしてきたためか、今回も個人の問題より、その背後にある組織のあり方が気になる。

ICCだけではない。それを支持してきた日本政府の「法の支配」という外交方針もまた、存在理由を問われているのではないだろうか。