今日は、日本建築家協会員有志による勉強会、「プロフェッションを語る会」に出席した。会場は大田区休養村とうぶ。区民のメンバーに手配していただいた。設計は伊東豊雄氏。ユニークな造形の建築である。
メンバーは同年配が主で、学生時代を七〇年安保の嵐の中で過ごした世代である。いまだに社会的視点を強く持ち続けている世代であると思われる。
会は途中で中座せざるを得なかったが、むしろ断片として持ち帰った言葉の方が、あとで長く残るようにも思う。
私たちが大切にしている「プロフェッション」という概念は、もともとキリスト教的文脈における誓約に由来する言葉である。市民革命を経て、その誓約の対象は神から社会へと移行したが、日本においてはその転換が同じかたちでは成立していないように思われる。
所属している日本建築家協会は、公益社団法人化を選択したことで、結果として国土交通省との関係性が以前とは少し異なるものになったようにも感じられる。そのことが、従来のように制度や産業構造に対して鋭く問題提起を行うというよりも、枠組みの内側での調整へと重心を移している印象にもつながっているのかもしれない。現在進められている「JAPANアーキテクト」構想も、そうした状況の中で模索されている、新たな職能のあり方の一つの表れと捉えることができるのではないか。
あらためて「プロフェッション」という言葉を探る意味は、自らの立ち位置を確認することに他ならない。
大げさな話では決してない。建築に関わる専門的能力を誰のために発揮すべきか。所属する組織の利益のためのものであれば、法的コンプライアンスの範疇を満たしたとしても、建築主を守ったことには到達しない。
市井で小さいながら建築設計事務所を主宰してきたが、いつも念頭にあるのは、建築主のために、社会的・時代的要請を含む専門的能力を発揮することであった。後継者もこのことはよく認識している。
逆に言えば、これが可能な立場にいることが建築家の道程の第一歩ではないか。帰路の車中で、今日の会議の内容を反芻しながら、そう思い至った。
胸に残った言葉はいくつかある。どれも大きなものではないが、しばらく離れそうにない。
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