―「教場」のロケ地を、35年ぶりに訪ねて―
映画版 教場 の CM を見ていて、画面に映り込んだ建物が、かつて自分が総括として設計に関わった美里町の施設であることに気づいた瞬間、胸の奥に眠っていた記憶が静かに揺れた。
誕生日(2月4日)を少し過ぎた今日、
久しぶりにその建物を確かめに行こうと決めて現地を訪れた。
曇天で冬特有の逆光がわずかに回り込む条件だったが、むしろ陰影がやわらぎ、建物の断面構成や瓦屋根の重さが落ち着いた表情で写ってくれた。
思えば私は当時の勤務先で、設計の最終段階までを担当したが自身の事務所開業のため、監理は後輩へ委ねた立場だった。
すでに公園の運動場はじめ他施設は仕上がり最終段階に達していた。丘の中腹に建つこの施設では、土地の痕跡を無視できず、内部の断面にも高低差が入り込んでくる。その“避けられない条件”をどう空間として統合し、建築の整合性へと昇華するかが、当時の私に課せられたテーマだった。
運動場側に向いた多目的ホールには、地域の祝祭性を象徴させる軸線を与えた。
一方、博物館機能はあえて軸をずらし、過去と現在のわずかな“ずれ”を空間に織り込むことで、場に時間的な奥行きをもたせた。
それらをつなぐホワイエは、単なる移動経路ではなく、複数の時間が交差する“緩衝帯”として設えたつもりである。
外形には、地域に根付く土蔵の「短い庇」への静かなオマージュと、直前にイタリア旅行で訪れたカステルヴェッキオ美術館で見たスカルパのディテール操作を重ねている。
チークの手すりの温かい触感や、スタイロフォームのように切り刻まれた大理石の断面。素材に“どう触れるか”が空間の質を決めるという考え方は、当時の私に強い衝撃を与えた。
土地の高低差、蔵の厚み、イタリア建築に通じる短い庇、そして冬の季節風を受ける立地特性。
これらの“差異”をなじませすぎず、しかし断絶させないまま統合する——。
振り返れば、その緊張のバランスを探る作業こそが、私にとって最大の設計課題であり、同時に最も楽しい時間でもあった。
今日久しぶりに建物を眺めたとき、完成後に追加された風よけが目に入り、建築は竣工後の運用の中で成熟し、少しずつ“育っていく”ものだと改めて感じた。
そしてテレビの中でこの建物が思いがけず姿を見せたことで、三十五年前の設計の断片が今日につながり、不思議な巡り合わせを覚えた。
せっかく思い出したこの感覚が薄れないうちに、こうして記しておくことにした。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。