静寂のなかの調べ:アナログの流儀と知的な愉悦
夜の帳(とばり)が降り、自分の時間が戻ってくる。

なにひとつせわしない用事もなく、卓上を片づけるうちに、ふと書棚に納めたレコードに目がとまる。クラシックのアナログ盤など、いまの時代ではまことに限られた趣味であろう。だが、冬の夜の静寂には、最近のいささか落ち着かぬリズムよりも、その調べのほうが遥かに似合いそうだ。

アナログの流儀と音の鮮度
木綿のガーゼに精製水を染み込ませ、盤面の埃を払う。そして、静かにターンテーブルへ載せ、アームを運び、針を降ろす。なんとも面倒くさい儀式ではあるが、これこそがアナログレコードの流儀なのだ。

今宵は、クリスチャン・フェラスが奏でるチャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(Vc.)を聴く。

このレコードは、1957年、ロンドンでの録音と記録されている。

かつてのVHSビデオテープは、時間の経過とともに画質をわるくするが、このレコード盤からは、半世紀以上の時を越えて、きわめて鮮やかに曲が再生される。

レコードの音がCDよりやわらかく、温かみをもつという人も多い。だが、これはカートリッジやアンプといった再生装置の機械特性に負うところが大きいのが、実のところだ。アナログ音源は、電気的なノイズや振動に影響を受けやすく、これが音の鮮度を少し曇らせる原因では、と私は思う。

一方、デジタル音源は、元の音からノイズ成分を電子的に取り除き、音場調整も処理する。その結果、音がなんのてらいもなく、あけすけに表現される。この音源の性質、どちらを選ぶか。それは尽きることのない、個人的な興味が尽きないところだ。

ウイスキーと音を「開かせる」儀式
実を言えば、このフェラスという演奏家について、私はなにもかも知っているわけではない。しかし、三十年前にたまたま手にしたこの古い録音は、冬の夜にすっと馴染む。情報ではなく、ただ耳に届く音こそが、すべてだと教えてくれる。

この音の深みと温かみが、自然と最近買い込んだスペイサイドウイスキーを求めた。

氷を使わず、常温の水を一対一で割るトゥワイスアップ。これは、香りを閉ざさないための、知的な所作だ。そしてこれは、レコードを清め、針を降ろす「儀式」とよく似ている。時間をかけて、音と、ウイスキーの香りの成分を、ゆっくりと解き放っていく。

スペイサイドの芳醇な香りの立ち上がりとともに、ヴァイオリンの調べが静かに流れる。なんともせわしない組み合わせのように見えるが、この一連の所作は、自分だけのゆったりとした時間の流れを、確かなものにする、つかの間の時なのだ。