今年の前橋まつりの行事に猿田彦の装束で参列。長い間その役を務めた鈴木さんの急遽の代役である。
前橋祭りそのものは神事ではなく、地元の商工業者が戦後復興の景気づけのために「復興祭」「前橋商工祭」として始めたイベントが膨張して各町内会、各種団体、学校などを巻き込み膨れ上がったものである。

神事らしきものの原型は現スズラン百貨店の場所にあった小石神社の夏祭りが原型らしく、かつては猿田彦の衣装も小石神社からの借り物だったらしい。
したがって今回も前橋八幡宮の神輿という位置づけながら神官らが巡行に加わることはなく、政教分離といえば聞こえが良いが祭礼の基本からははずれ単なるイベントとして理解したほうがよさそうだ。

この日のために町内の人たちが共同作業にかかわり、また子供たちもそれぞれの町内のお囃子の練習に参加し、一時の地域連帯の気運が高まることは良いことである。
ただし、少子高齢化が進む町中心部ではもはや子供神輿や山車に乗るなりてもなく、大人神輿も70歳代まで参加、多くを知人友人の助けを得てのこと。
本来の神事としての神輿巡行の意義を知るまでもなく一種のレジャーとして受け止めているものも多いのでは。

猿田彦は日本書記に「猿田毘古神」として登場する。古代の大和政権に征服された側の部族を慰撫するためにそれぞれ国津神として祭り上げた部族のひとりが猿田毘古神であったのではないか。
顔が赤く、鼻が高いというのも日本人の特徴と異なり、伊勢神宮に伝わる「六芒星」の標識がユダヤのダビデの星との相似性から空想の世界では異民族の存在を感じさせてしまうのだ。

ただし「天狗」のほうが広く知れ渡っているので天狗様と勘違いする向きも少なくない。歴史書は常に勝者側の記録であるが行間から、敗者についても知ることができる。疑いながら読むのも面白い。

天孫降臨の際に道案内を引き受けたことで神輿巡幸の際の先導を務める習わしが今回の猿田彦なのだったが、雨天で途中で引き返し、神様には道案内放棄で大変失礼してしまった。