群馬県立近代美術館に「アートのための場所つくり」を見に出かける。こちら先般逝去された磯崎新氏の代表作の一つであり、自分が実社会に出たころちょうど工事の最中だった。井上房一郎氏の招きで磯崎新氏が藤五伊勢丹で講演会が当時あったのを思い出す。内容は難しく理解不能であったことだけを覚えている。

1970年代は小見辰男先生に師事して油彩画を勉強していた時期でもありアートとの距離が一番近かった時期である。今回の舞台の一つ、前橋の煥乎堂は自宅からも至近の距離、白井晟一の作とも知らず周り階段の下で雑誌の立ち読みにふけったものだ。まだ冷房など普及していない時代、夏季の避難場所でもあった。就職した福島建築設計事務所の会長や所長が頻繁に煥乎堂に出入りしていたこともあり旧音楽センターの改築の設計チームに加えていただいたことも懐かしい思い出だ。

また日銀前橋支店前の前橋ビルという再開発ビルにあった山田屋画廊は放課後のたまり場だった。店主の金子英彦氏の周りに少々奇妙な人たちが集まり絵具とキャンバスの匂いとともに不思議な雰囲気に魅了された。その画家たちが1階の商店街のシャッターに思い思いの前衛画を描いて当時話題になった。ペルルの竹内嘉一氏には後年ずっとお世話になった。

見聞きした、またお話しすることができた方たちの作品が50年前の記憶を甦えさせる展覧会であった。当時20代前半、将来が見えず、しかしきっと良いことがあるだろうともがいているうちにそろそろ人生の店じまいが近づいてきてしまった。最後の悪あがきとしよう。