サービスする側が何を提供するかということについて考える。狸山人的こころ
最近昼食に寄った店で注文を取りに来たと思ったらいきなりiパッドを渡された。これで注文しろということらしい。昨晩もアマゾンの注文をしたばかりだから別に操作はできるだろうが、これでは食の楽しみに大いに欠ける。店とのコミュニケーションがかなり減少する。店のおすすめは、量の大小、とか注文を取りに来る店との会話ですでに食事は始まっているのだろうと思う。生存のための喫食、学校給食や病院の給食であれば不要なサービスであろうがたとえば接待したい相手がいる場合などなおさら興ざめだ。
休日評判の店だからと思ったもののこちらの下調べ不足であるがその店の単価は決してランチとしては低くはなかった。出先では大手チェーン店を避けることが多い。外食産業というビジネスモデルには心を感じることは難しい。食券の自動販売機のある店も避ける。たしかに金銭売上管理は確実だが、これも従業員管理上のメリットが多いものの客のためのものではない。そんなわけで今日の昼食は味気ないものになってしまった。料理そのものは厨房で気を使って美味しく仕上げているのにホールの対応がちぐはぐ感が惜しまれる。
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