昨晩、ふと「里の秋」という歌を思い出し、facebookに投稿した。
どうしても今に重なるものを感じるのだ。

作詞:斎藤信夫、作曲:海沼 実
1 静かな静かな 里の秋
  お背戸に木の実の 落ちる夜は
  ああ母さんと ただ二人
  栗の実煮てます いろりばた

2 明るい明るい 星の空
  鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
  ああ父さんの あの笑顔
  栗の実食べては 思い出す

3 さよならさよなら 椰子の島
  お舟にゆられて 帰られる
  ああ父さんよ 御無事でと
  今夜も母さんと 祈ります

そして「冬の夜」という歌も思い出した。

1 燈火ちかく衣縫ふ母は
  春の遊びの楽しさ語る
  居並ぶ子どもは指を折りつつ
  日数かぞへて喜び勇む
  囲炉裏火はとろとろ
  外は吹雪

2 囲炉裏の端に繩なふ父は
過ぎしいくさの手柄を語る
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
炉裏火はとろとろ
外は吹雪

「里の秋」は敗戦後、引揚者のためのラジオ番組のために作られたと知った。「冬の夜」は明治末期の文部省唱歌。
囲炉裏を囲みながらも片や敗戦、片や戦勝後の歌である。

戦の手柄を子供にどう話そうとしたのかは解らないがお父さんも大きな心的外傷を患っていたはずだ。
どちらにしても戦争の犠牲は庶民に覆いかぶさる。

「戦友」 真下飛泉作詞・三善和気作曲/明治38年

1.ここはお国を何百里離れて遠き満洲の赤い夕日に照らされて友は野末の石の下

2.思えばかなし昨日まで真先かけて突進し敵を散々懲らしたる勇士はここに眠れるか

3.ああ戦の最中に隣りに居ったこの友の俄かにはたと倒れしを我はおもわず駈け寄って

4.軍律きびしい中なれどこれが見捨てて置かりょうか「しっかりせよ」と抱き起し仮繃帯も弾丸の中

5.折から起る突貫に友はようよう顔あげて「お国の為だかまわずに後れてくれな」と目に涙

6.あとに心は残れども残しちゃならぬこの体「それじゃ行くよ」と別れたが永の別れとなったのか

7.戦すんで日が暮れてさがしにもどる心ではどうぞ生きて居てくれよものなと言えと願うたに

8.空しく冷えて魂は故郷へ帰ったポケットに時計ばかりがコチコチと動いて居るのも情なや

9.思えば去年船出してお国が見えずなった時玄海灘で手を握り名を名乗ったが始めにて

10.それより後は一本の煙草も二人わけてのみついた手紙も見せ合うて身の上ばなしくりかえし

11.肩を抱いては口ぐせにどうせ命はないものよ死んだら骨を頼むぞと言いかわしたる二人仲

12.思いもよらず我一人不思議に命ながらえて赤い夕日の満洲に友の塚穴掘ろうとは

13.くまなく晴れた月今宵心しみじみ筆とって友の最期をこまごまと親御へ送るこの手紙

14.筆の運びはつたないが行燈のかげで親達の読まるる心おもいやり思わずおとす一雫

北朝鮮のミサイルの脅威について客観的な判断がされていないような気がする。
東京を守るといわれる市ヶ谷のパトリオットの射程はわずか20km。当然全国をカバーすることなど到底出来ない。
東京もすでに射程に収められてから随分経っているのだ。核弾頭ならずとも着弾を防ぐことはほぼ無理だし、高度5000km以上を飛行した前回のミサイルなど破壊処置命令など出したところで噴飯物なのだ。

北朝鮮をここまでのさばらせてしまった原因は何なのだろうか。なぜここまで手をこまねいていたのだろうか。長期政権といわれた現政権に怠慢は無かったか。
兵棋演習では消耗率、すなわち戦死者数を見積もる。非戦闘員である我々は兵隊扱いされては困るのだ。たった一発のミサイルも飛ばさせてはいけない。
そのための戦略が全く見えないことへの不安は大きい。