M2を久しぶりに見た。いまは斎場チェーンの所有になっている。1991年、ちょうど自分が開業した頃の建築だ。
まだバブルの残り火がくすぶっていた頃。猫も杓子も「ポストモダン」の時代。
文化というのは金が余らないと花が開かないらしい。随分建築にお金がつぎ込まれた時代だった。

外国の建築家もこの時期にいくつも建築を残している。日本では当時30代だった隈研吾から槇文彦までポストモダン。
不景気になったらコルビジェから北欧デザイン。健全といえば健全かもしれないが、あの能天気さも懐かしい。建築のバブルの時代はそんな時代だった。

西欧建築の歴史的要素を引用していた隈研吾は最近はやたらと木格子を張り巡らせている。ただ木材の特性を軽視しているせいか経年劣化だ早い。
建築の永遠性を求める時代では無いということか。新国立競技場も後年度負担の維持費がさぞ高いことだろう。

ポストモダンの更に一つ前の時代の岡本太郎の彫刻が前橋の広瀬川河畔に立つらしい。
もっともこの場所のために作られたものではなくどこかの廃用品の再利用だ。
高崎に負け続けている前橋にあって数少ない勝っていると思われるのが「広瀬川」だ。同じ市内を流れる人工の川である長野堰と比べると比較にならない。
しかし柳橋から始まる右岸の修景、及び造園、架橋は一貫性がなくかつ無意味な水路が作られていたりとても広瀬川河畔にとって必然性が見られない。

水量が多すぎて危険なことはわかるが京都の高瀬川で安藤忠雄が試みた親水性の良さも工夫されて良いと思う。そんな雑然とした河畔に岡本太郎のエネルギーがどのような光を放つのであろうか。像の足元は藤本壮介が固めるということで期待したいところだ。

但し、河畔全体のデザインコンセプトを見直さないと萩原朔太郎を中心とした文学関係の資源を有効に生かせないと思う。