
一日中書斎で片付けごと。午後街に出かける。
「ヤギカフェ」に寄ってから「甘太郎焼」を買って敬老の日に因んで両親に届ける。
かつて東和銀行の坂を下ったところに「梅の湯」という銭湯があり、行きつけの八幡様の裏手にあった「八幡湯」が休みのときなど父親に連れられて入りに行った。「白山湯」「寿湯」等々町内には一軒ずつくらいあったものだ。
昭和30年代、アメリカ軍の空襲によって焼け出された街中は「戦災復興住宅」と呼ばれた粗末な平屋建ての家が立ち並んでいた。おまけにベビーブームの頃、家中人がすし詰め状態。風呂場など設ける余裕はない。やがて二階家が増え始め内風呂が普及、銭湯はだんだん姿を消していった。
山水会館が工事中の頃だった。湧水がひどくとうとう人身事故が起きてしまった。妙に排水ポンプから溢れていた地下水のことを覚えている。
「梅の湯」の並びに「甘太郎焼」の店ができた。今川焼きを二廻りほど大きくし、あんこがふんだんに入っていて一度父親と一緒に食べたら病みつきになり、「八幡湯」が休みでなくとも「左旋回」といって坂下に降り、父親に散財させてしまった。
祖父母、両親、妹と6人家族。父親と二人きりになれた貴重な時間だっと。と父親の気持ちもわかる歳になってしまった。
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