青木榮さんの訃報あり。(2016年1月9日ご逝去。享年95歳)
日本建築家協会の先輩会員であり、建築家青木淳さんの叔父に当たる。
親しくさせていただいたのは2006年、群馬地域会の代表幹事を務めていた際、地域会の行事で会員作品展、講演会、学生作品コンクールを統合して建築祭を企画したときだった。

アマチュアのコンクールといっても、だからこそコンクールの格は審査員によって決まる。
青木榮さんのご自宅を訪ね、青木淳さんを審査委員長をお願いしたいので叔父の立場から取次ぎを依頼したところ、こころよく引き受けてくださった。

おかげさまでコンクールの端緒に華を添えることが出来た。なにしろ次年度から最初の審査員が「青木淳さん」でしたというと審査員も引き受けやすいというものだった。
このコンクールの審査、それに続く講演会を見守っておられた。

青木榮さんは現横浜国大の中村順平教授の弟子であり、前橋八幡宮の拝殿をその指導下で設計を行なっている。縁があって群馬県庁に就職し、退職後自身の建築設計事務所を都内に設け、公共建築等の設計監理にたずさわった。
晩年はボザール風の中国建築のスケッテを書き、最後まで建築への情熱を燃やしていたと思われる。
身近にいた叔父の建築家としての姿を甥の青木淳さんが少なからず影響を受けたことであろう。

青木榮さんはまた一方で自分自身にも間接的ではあるがご縁が有り、以前の修行先の所長の県庁職員時代の上司であり、後に上司となる岩崎明さんと建築設計事務所を主宰されていた。時に触れ所長からは県庁時代の昔話を聞かされたものだ。

コンクールの会場は旧麻屋。廃墟のような会場ではあったが青木審査委員長は的確な審査をすばやく下したのが印象的だった。さすがというほか無い。
その旧麻屋も消え、岩崎明さんも亡くなり、そして青木榮さんも亡くなった。時代がまたひとつ動いた。