旅行の記憶が薄れないうちにと書きとめようと思っていたがもう一週間経ってしまった。
ふだん見慣れない大小の島々が浮かぶ瀬戸内の景色は一度は見たいと思っていた。
山田洋次や小津安二郎、大林宣彦などの作品に出てくる光景が目に焼きついている。
最近ではTVの「てっぱん」、「流星ワゴン」。


渡辺翁記念会館とカトリック幟町教会 世界平和記念聖堂の見学の機会を得る。
いまさらという気持ちともう一度見たいという複雑な気持ちではあったが双方ともすごい。
村野の力もさることながらこれを支えた職人の腕に嫉妬を覚える。

昭和10年の作とすると佐藤功一の群馬県庁、群馬会館とつい比較してしまう。
タイルは昭和5年の欧州旅行のあとであることからストックホルム市庁舎やハンブルグのチリハウスなどの影響を感じる。
人研仕上げにより仕上げられた壁画や装飾各所に見られる鷲のモチーフの装飾は丹下健三などがコルビジェの強い影響を感じるのに対しロシア構成主義やドイツのシュペーアやシンケルの影響を感じる。
やはり日本近代建築の本流とは距離を置いている。


錦帯橋は木造の架構の技術の面白さを伝えてくれる。


厳島神社は数ある神社のなかでも平安末期の動乱の舞台となったことでも知られ、海に浮かぶ大鳥居とともに世界文化遺産にも登録されている。
穏やかな瀬戸内とはいえ台風で何度も被害にあっているが現在に至っている。

幾度も増改築を重ね現在の形になっている。回廊によってつながれた独特の景観は他に類を見ないものだ。

神道と仏教が入り混じった姿は伊勢神宮の現在の姿や出雲大社などとはまた別のものだが、日本独特の宗教観が良く表れている神社でもある。
午後3時過ぎに到着。まだ潮が引いていたので回廊の下は砂浜のままで海藻がそのまま見えたりお世辞にも美しいとは言い難い。
TV番組の撮影の巧妙さを改めて感じる。しかし日没近くとなると潮が満ちてきて景色が一変する。
海に暮らす人にとっては当たり前のことなのであろう。


江田島の旧海軍兵学校、現第一術科学校を見学。
かねてより赤レンガ建築の西の横綱と名高い建築はいかようなものか興味があった。

保存状態は大変すばらしく、実際に校舎として使われている。

旧海軍兵学校は幕末以来長い伝統があり「教育参考館」には勝海舟以降の関係者の資料が収集されている。


呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)は呉港桟橋のすぐ前にある。戦前戦後を通して軍港として長い歴史を持ち、造船も瀬戸内一帯は盛んな土地柄である。
旧海軍 軍艦大和も呉で建造された。その地域独特のプライドがこのような施設を作ったのだろう。

旧海軍 軍艦大和は武蔵、信濃とともに世界最大の戦艦として起工したが皮肉なことに完成した時には日本海軍の空母6隻からなる機動部隊の艦載機による真珠湾攻撃、陸上攻撃機によるマレー沖海戦によって、制海権を航空兵力が握るような時代になっていた。大和は完成時には時代遅れの船になってしまった。そしてわずか4年足らずで水上特攻により海没する。

これをどのようにとらえるか。目玉の模型を見るにつけ、複雑な思いである。


広島平和記念資料館は1955年の丹下健三の設計により完成したとある。
コルビジェのピロティとの類似性はぬぐえないが原爆ドームと原爆死没者慰霊碑 を貫く軸線が一層強調されるものになっている。
展示物については予備知識として既にあり、正視に耐えられるか自信がなかった。
しかし建築を見る旅とはいえ展示物をきちんと見ようと決心し現地に向かった。

まず広島に10月10日夜になってから入ったので夜景を見ることになった。町の灯りが灯るとはいえ都市の猥雑な光景が消え施設が照明に浮かび上がる。
広い公園の中は静かな夜を迎えていた。

翌日、昼間公園に入る。端正な建築群が展開する。ただしピロティにより空中に浮かんだかのような建築は重量感を感じさせない。世界平和記念聖堂とは対照的だ。
展示は本物とレプリカが入り混じるのには疑問を感じる。建築の修復にも通じる課題だ。そして情緒的すぎる。
まず日米の戦争責任があいまいにされている。原子爆弾がなぜ広島に投下されなくてはならなかったのか。市民の大量虐殺が戦争犯罪に問われないのか。
同じ市民でも原爆の被害者、海軍と深くかかわって生業として生きてきた市民。二つの展示施設のそれぞれの交わることのない視点があった。


世界平和記念聖堂は村野藤吾の晩年の八ヶ岳美術館にも通じるテクスチャが魅力的である。
大きな建築であるにかかわらず空間の豊かさと隅々までコントロールされた細部を作り出したエネルギーに不気味ささえ感じる。


竹原市はかつて塩田の町だったそうだ。竹鶴正孝の生家があることで最近脚光を浴びている。

重伝建地区に指定された街は白壁の倉敷とは違う落ち着いた雰囲気が好ましい。


尾道市ではまず浄土寺に向かう。高台から海が見渡せる。映画のロケ地に立つとまた感慨がある。

尾道市は映画によく登場する街だが坂道にはさすがに閉口する。


JR西日本の電車はほとんどベンチシートではない。
古い新快速用117系は0系新幹線の転換型シートと同じタイプ。なつかしい。
新しい車両も転換シート。西日本のこだわりか。


倉敷市には夕方着いた。

美観地区は夕方にもかかわらずものすごい人出。

古いものが価値を持つ時代も良いものだ。