今日は1945年8月5日、アメリカ軍による前橋市に対する夜間無差別攻撃があった日。
友人のfacebookへの投稿に前橋空襲にちなむものが例年に無く多い。
「安保法案」により今、戦争・平和に関する関心が高まっている。
身近にある戦争。こんな地方都市がなぜ空襲を受けなくてはならなかったのだろう。

最近は「空襲」を「空爆」と言い換える例が多い。
ベトナム戦争の際に「北ベトナム空爆」という言葉が使われだしたと思う。
なぜ空襲と呼ばず空爆としたのかはなにか日本が戦争末期に受けたアメリカ軍による都市無差別爆撃の印象を呼び起こさせないようにとのマスコミによる情報操作ではなかったか。

歴史は勝者によって作られる。大東亜戦争は敗者に全て非があったのだろうか。
今は死語だが「仏印」、「蘭印」これらはそれぞれフランス、オランダの植民地を示す。
インド、ミャンマー、マレーシヤ、シンガポール、スリランカ、香港南洋諸島(イギリス)
カンボジア、ラオス、ベトナム(フランス)
インドネシア(オランダ)
フィリピン(アメリカ)
台湾、朝鮮、満州(日本)
戦争前のアジアは先進国といわれる国々によって主権を奪われていた。
最後の植民地として中国での権益取得争いがハル・ノートにつながるのである。
決して連合国側に正義があるとは思えない。

戦後占領軍により戦争責任は全て日本にあると刷り込まれた。
したがって、広島、長崎をはじめ東京大空襲に代表される人口密集地への無差別殺戮は責任を問われることは無かった。むしろ甘んじて被害を受けるべきとまで洗脳されてきた。

日本本土への無差別爆撃を指揮した「カーチス・ルメイ」は戦後航空自衛隊設立に寄与したとして1964年12月7日、勲一等旭日大綬章を授与されている。まさに植民地である。
今、日本政府はアメリカとの軍事的結び付けを強くしていこうとしている。
独立国としてアメリカにいつまで媚を売っていくつもりなのだろう。
輸出先としてのアメリカ市場、中国市場に目がくらみ道を誤っていないか。