
日本が世界に誇る言葉は「おもてなし」以上に「もったいない」であろう。
江戸期において超循環社会を形成したと伝えられるが消費社会の現代において忘れられていた言葉でもある。
住宅においてもすでに住宅戸数が世帯数を上回っていてリフォームが住宅産業の中心になりつつある社会は再び循環社会の入り口に立っているのかもしれない。
割り箸は環境に負荷をかけている悪者という解釈が蔓延している。
外食産業においてプラスチックの使い回しの箸が普通になりつつある。
森林資源を無駄使いしているとの論拠のようである。
確かに中国本土の森林を日本向の割り箸製造のために恐るべきスピードで破壊しているというような情報もないではない。
日本は箸の文化である。割り箸は食べる直前に2つに割り、食事をいただく。
ここに日本人の持つ清潔感が現れていないか。
食事そのものも動植物の命をいただく儀式でもある。その儀式にふさわしい礼として所作とも言える。
高級な割り箸を除けば割り箸は間伐材から作られてきたと言われる。
間伐材は建築用材を作るために日当たりを良くするために間引かれた木材である。
燃料にされたり、チップにされて紙の原料にされるより木材にとっては幸せなことである。
さらに利休箸のように杢目の美しさを料理に添える脇役として活躍の場を持っているものもある。
塗り箸にはもちろん良さはある。
しかし白木の割り箸には伊勢神宮の白木の大社に通じる潔さを感じるのだ。
食事の最後にご飯茶碗に茶を注ぎ、漬物で茶碗を洗って茶を飲み、食事を終えるという作法がある。
一見貧乏臭いようだがここに日本人のものを大切にする「もったいない」という精神が現れていまいか。
プラスチックの箸は再利用は可能である。しかしその過程において中東から原油を運び、生成してプラスチックを作る。
そしてこれまた石油化学製品の洗剤で箸を洗う。一見エコのようでそうとも言い切れない側面を持っていることに留意すべきだ。
要は割り箸に問題があるのではなくただ安ければ良いという米拝金主義に追従する社会の問題なのだ。
日本の文化を噛み締めながらおいしい食事を頂きたいものだ。
画像 「前橋市本町 箸蔵」
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