
今日は21年勤務した勤め先の所長のご自宅にお中元をもって挨拶にうかがう。
開業以来夏と暮れには欠かさず訪問している。
退職するときは自分で開業するという野心とともに若干ながらも反発するところもあり、こうしてご自宅に伺うのも少し変なものである。
いまは規模の大小の差は歴然とあるものの共に経営者である。会話は自然経営のことが主となる。
大見えを切って退職した手前、こちらは仕事があってもなくとも「おかげさまで順調です」と報告することが自分を奮い立たせてくれた面もある。
とにかく自分の事務所が無くなってしまっては挨拶に行きようがないのだ。
ここ数年はそれでも順調に推移しているので胸を張ってお伺いすることが出来た。
20歳年上の所長である。半分ぼやきともとれる言葉も出るがさすがにあれだけの事務所を現役で引っ張っている精神力にはただただ敬服するしかない。
高校の卒業と同時に就職し、技術も社会経験も全くないまっさらな状態でこの世界に飛び込んだ。
あの事務所で学んだことが全て自分の礎となっているといっても過言ではない。
但しまだまだ建築家教育を受けた人材などほとんどいない環境でもある。
設計製図は先輩方の書いたものを手本に何とか真似しながら習得したものの建築設計の本質に触れる課題はこれまた見よう見まねで考えるしかない。
その意味ではずいぶんと遠回りしたものだ。
幸い所員には国内の建築をあちこち見に出かける研修の機会をいただくことが出来た。
話題となった建築を直接見る機会を得たことは現在につながる貴重な経験であった。
JIA会員に推挙していただいたことも現在非常に大きな支えとなっている。
文字通りスター建築家の方々と同じテーブルで議論を交わすというような経験はなかなかできないものだ。
昨日も神宮前のJIA会館での研修会を受講した。
門前の小僧ではないが直接目や耳から入ってくる情報というのは得難い。
事務所を開業して以前の勤め先より仕事の質を絶対に落としたくなかった。
数億の工事規模と同様の仕事の取り組み方をすれば住宅などのような小規模の仕事では採算が取れないことは解り切っていた。
しかし20年にわたって蓄積したものを無にしたくなかった。
建築主が期待しようがしまいがとにかく設計監理のシステムは以前の勤め先をしのごうとしてきたやせ我慢の20年であったと思う。
以前の勤め先の所長と昔話をさせていただくことが自分の立ち位置を配確認する貴重な時間である。
今の事務所のスタッフもさいわい自分の考え方は概ね理解していてくれているようだ。
デザインは個人の感覚によるところも大きい。
いずれ自分が退いた後この事務所の作風もこの個人のセンスにゆだねられていく。
しかし
建築主ときちんと向き合い、まともな建築を世に送り出していく。そのためには何をすべきか。
仕事への向き合い方は普遍的なものがあってよいだろう。幸い地方の事務所である。
駆け足で後ろも見ずに仕事をしていく中央とは違った環境にあるのだから、しっかりやっていってほしいと思う。
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