省電力住宅

今回の震災により発生した電力不足のための計画停電はいざ始まってみたらとんでもなく不便なことが分かった。想像力の欠如である。

FAXが使い物にならない。相手先の停電時間が一致しないと受けてもらえないのだ。
のんびり仕事をしていても時間には制限がある。結局スキャンしてPDFで電子メールで送る。
出先で信号機が作動しない道をどきどきしながら走る。とどめは夜間の停電。

オール電化住宅が大人気である。便利さを認めつつもいつも建築主には災害時に単一エネルギーに頼るのは危険といい続けてきた。通信系等は電気に頼らざるを得ないがそれ以外は電気以外でも大丈夫。搬送が不便といわれるLPGはボンベさえ確保できれば炊事は可能だ。
薪ストーブはもっと強力。

今日久しぶりにロードバイクで寄ったカフェ・アウルでは午前中停電でランチのご飯を飯盒炊爨したとの事。
勿論薪集めから薪割り着火までほとんど人力に頼る不便さ。

しかし便利さを追求する中で忘れてしまったものがあるようだ。
IHクッキングヒーター調理器を希望する理由がほとんど掃除が楽そうだからである。
この調理器であればおいしい料理ができるのでという理由を聞いた事が無い。

価値観は様々である。がもう一度不便さの中にあるものを調理器を含め考え直す時期に来ているのでは。福島原発は間違いなく廃止だ。今年の夏のエアコン需要のための電力不足のほうが今より深刻になるだろう。

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4件のコメント

  1. アウルでございます。

    いつもサバイバル
    今晩は、緊急地震速報の音に体が反応しています。被災地の方々はもっと心と体が辛いと思われます。都内の某会社に勤務していた時に地下鉄が止まってしまった事があり、一時間余り予備電源の灯りのみの車内にいた。その後のアナウンスで次の駅まで歩いて下さいとの指示、暗いトンネルの中、次の駅の灯りを求めてひたすら歩く、どうぞトンネルの天井が落ちてきませんようにと祈りながら、やっと地上に出て太陽の光を見たときの事は今でも忘れない、文明の利器は確かにいいのですが、それに頼ってしまっていると人間は本来の力を忘れる、防災用品もどこに置いてあるすらも忘れている。悲惨な事の中でも削除しなさい、という事と決して忘れてはいけない事がある。子供の頃にキャンプで教わったを覚えていた、又囲炉裏がある生活で育った環境が良かったのかもしれません。
    本当に価値観はいろいろです。文明の利器は確かに良いです、でも何かの災害時に教わった事が役に立つ時があると思います。大和民族の先人達の知恵が今の時代を生きる人に届けばいいのですが。20年おめでとうございます。アウルはまだ駆け出しのひよこ、歩いていけるように努力します。有難ございます。

  2. 脱電化住宅

    masao
    脱電化住宅に関して引用させていただきました。省電力というより、脱電化なのですね。
    祖母の実家に行くと囲炉裏からの煙でいぶされた独特な匂いがただよっていました。夏でもひんやりとした空気を感じました。
    ゆっくりと時間が流れていることを思い返し、地に足を付けて進みましょう。

  3. アウルでございます。

    電化製品は嫌いではない
    これは、個人的な事柄ですが、判りやすく言うと昭和初期の時代を経験したなかで電化製品に頼ることなく生活のをしてきた人が何かあったときには、臨機応変の生活が対応できるかもしれませんね、火鉢とかコンロとか。飛騨高山の古い民家とかでは今でも「おくどさん」釜戸が元気です。豪雪で電線が切れてしまった時にはよく活躍していましたよ。電気製品はとても便利ですから、主婦の強い味方でもありますしね、アイロンかけとか洗濯機、生活するにも仕事にも大切なものですが、文化だけが先走ってしまい、どうすることもできない傍観者の方々が大変な思いをしていますね。何とかしてあげたいのですが、あまりにも小さくて、気持ちだけです。原発の中で電力の復旧作業をしている友人、又放射能エリアで頑張っている友人とその家族の気持ちを思うとね。今私共ができること節電かもしれません。

  4. 私も電気製品好きです。
    氷の冷蔵庫から電気冷蔵庫、扇風機、洗濯板から洗濯機。まだまだ空襲の焼け跡のの残っていた時代。どんどん暮らしが良くなる予感がしました。
    白熱電球から蛍光灯、真空管ラジオからステレオとどんどん変わって行く事に満足していた。
    しかし気がついてみたら今回の事故・・
    暮らし方が問われています。

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