事務所を開設して20年経った。手探りで始めてからこの間160件にのぼる建築設計に関与してきた。そしてこの間、新たなお付き合い、成長するスタッフ等々、輪が広がりつつあり、いまもいくつもの設計が進行している。
そこでひとつの節目として考えたのが作品展だった。

開設5年目で開いたときは「5年間よく続いた。これからだ」という新鮮な気持ちがあった。まだまだ先の見通しがつかない中にもやっと数件の建築が出来上がったころのことだ。

今回はむしろ自分の人生を振り返る、もっと云えば今風の表現では自分へのご褒美といった気分があったと思う。
建築一筋とは云わないが好きな仕事を選ぶことができ、人生の大半を設計という仕事にかかわることができたことは何よりのことだった。

自分が現役で仕事ができる時間は限られてきた。最後の仕上げのときだ。これを機にいっそう仕事に打ち込まなければならない。
そしてこの事業が永続することを願い、次世代にすこしづつ委譲していかなくてはならないこともある。そのためにも作品を通して事務所の過去と未来を表現するつもりだった。

ところがこの大震災、および原発の異常事態である。
原発について云えば非常に忸怩たる思いがある。
身近な電磁波でさえ危険を指摘しておきながら巨大な原発について危険性を感じながら何も行動を起こさなかった。勿論個人の力など国家権力の前では無力ではある。しかし何か手立ては無かったのか。電力なしでは生活できないという現実を無気力に受け入れていなかったか。
多くの住民と現場の作業員が非常な危険にさらされている。200km離れた前橋も放射性物質降下が始まっている。この責任を政府や東電にだけ転嫁してよいものか。

自分は20年の節目を無事迎えることができた。いっぽう様々な節目を迎えることもかなわず多くの方が無念の最後を遂げたのである。兵庫県南部地震など震災復興支援に現地に赴いた。そのときの悲惨な光景がよみがえる。このような時期に重なり自分へのお祝い事はふさわしくないと判断し作品展の中止を決心した。

この作品展のために半年以上準備を重ねてきた。このことは事務所の進路を考える上で大変意義のあることだった。広報としての機会は失ったが内部を固めるには若干でも役に立ったということにしておこう。

すでに案内を発信した後のことで中止の連絡が行き届かないかもしれない。
不手際をお詫びしたい。